○大根の種を播いたのに生えない
植物は偉いもので、3日前に家の周りの草刈りをしたのに、昨日の雨で刈り取った所から再び芽が出ています。蒔かない種も生えないし植えない木も育たないのに、雑草だけはどうして播きも植えもしないのにどうしてはびこるのでしょう。これこそ憎まれ子世にはびこるの心境なのです。
季節が秋に傾きかけたので、あちらこちらの畑では野焼きの煙がたなびいちるようです。畑の草を取り天日で乾燥させ畑の隅で焼却処分するのです。こうすることによって雑草の根と種を根こそぎ無くそうとするのですが、種も根もまた逞しくよみがえるようです。
4日前親父の頼みで大根の種を播きました。親父の作ったかなり大きめの畝に一本すじ状の穴を開け、私がそこへ大根の種を一つ一つ丁寧に播いて行くのです。親父は年齢とともに目が薄くなって、あの小さい種を判別できないのです。親父と私のこうしたコンビネーションはもう10年間も続いているのですが、几帳面な親父に比べ私はかなりアバウトな人間のように見えるらしく、90歳の親父に63歳の私が文句を言われながら作業をするのです。時には親父の文句がうるさくて口喧嘩もしますが、最近はお互いがお互いの性格を知っているため、左程の喧嘩にもならず作業を終えるのです。
大根の発芽は予想よりかなり早く、僅か4~5日で可愛らしいまるでカイワレ大根のような二つ葉が出てきます。ところが今年の種は発芽率が非常に悪く、荒く播いた種の間がさらに広く感じるほど、約2割の種が発芽しませんでした。朝夕水をまいて発芽を楽しみにしていた親父にしてみれば、私の種の蒔き方が悪いから発芽しないと思うのは当然かも知れません。しかし私の言い分は、親父の買ってきた種が悪から生えないのだと、考えがまちまちなのです。業を煮やした親父は再び生えなかった場所へ種を追い播きしたいと種を一袋購入してきて、私に播くよう勧めました。
面倒くさいと思いつつ、ここは親父の顔を立てて今朝追い播きしたのです。お皿に種を広げ、指先で土に穴を掘って赤い種を順番に播いて行きました。昨日の雨で畑の土はかなり緩んでいて、履いた長靴は泥がいっぱいつくほどでした。それでもわずか20分ほどで終わったので、汚れたついでに旬菊の種も播きました。大根の種は小さいといっても識別できますが、春菊の種はまるでコスモスの種のようで播種には少し苦労しましたが、何とか親父の満足のいくように播き終えました。
何年か前、せっかく発芽して育ちつつあった大根の苗が台風の吹き出す突風にもまれて台無しになったことがあり、遅ればせながら種を播き替えた苦い経験が蘇りました。台湾付近で迷走していた台風が近づきつつあり本土をうかがうような雲行きです。今度こそ追い播きで発芽して、順調に育って欲しいと願っています。
先日伊予市の水口さんに会ったら、今年もキャベツやブロッコリーの苗を差し上げると言ってくれました。昨年は丈夫に育った水口さんが育てたキャベツやブロッコリーの苗のお陰で、キャベツもブロッコリーも大豊作でした。私はそのキャベツ畑を写真に撮って水口さんや友人にプリントアウトしてはがきを書き送ったほどでした。
間もなく白菜や玉ねぎなどの植え付けもしなければなりませんが、今年も極力無農薬に心掛け、安心で安全な野菜を自給自足できるよう努力したいものです。