○水の世界から土の世界へ
人間は台風などの被害に遭うと、その被害に遭わないよう色々と知恵を出すものです。特に日本各地で行われてきた稲作は、6月に田植えをして10月に稲刈りをするという稲作文化が定着していました。ところが稲の生育過程には立春から数えて210日という厄日があって、毎年どこかの地域に台風が上陸して、全滅や壊滅の被害を被ってきたのです。その被害を少しでもなくそうと品種改良をした結果、超極早生の稲が誕生し、5月の連休に田植えをして8月末には刈り取るといった常識では考えられない稲作が日常的に行われるようになったのです。そこには俳句の世界で季語や季題として季節の移ろいを詠んだ世界は完全に否定されているのです。
農家は真夏の色濃い残暑の中で稲刈りをするのですから額に汗して重労働を強いられます。早生品種のため遅手品種に収量的には敵いませんが、それでも台風に全てを持ち去られるよりましと、秋田小町やササニシキといった全国ブランドのお米が、まるで産地偽証のように何故か作られているのですから不思議と言えば不思議です。
現代の農家はずいぶん楽になりました。稲作にも分業化が進み、苗育てはもう殆どの農家が育苗センターに注文をするようになりました。苗床を作り田んぼの中に椅子を置いて苗を引き抜いて束ね、田んぼのあちこちへばら撒く作業は見ようとしてもなく、自家で苗を育っても殆どが箱の中で育苗するのです。腰をかがめ定規に沿って並んで植えた田植えの風景はも昔のイメージでしかないのです。
私たちの地域では山田が多いためそこまではいきませんが、大きな田んぼになると田植え機も稲刈り機も大型で、運動靴で乗車できて、泥土に汚れることはほとんどないのですから世の中は変わったものです。
しかしこんな近代化の陰には機械貧乏といわれる過剰投資の苦悩があるようです。一日の田植えと一日の稲刈りのために立派な機械を購入し、後の一年は倉庫で眠るといった、誰が考えても可笑しいと思う光景や嘆き節が聞こえるのです。最近は30キロの米袋持てない高齢者も増えて、田んぼの横へトラックを置き、モミを直接這い出すコンバインが主流になりつつあるようです。
水利権を主張しあれ程奪い合った水も人間は勝手なもので、水口を次々と閉ざして水路は干上がって水路に張りついて生きていた水生動植物は無残な姿をさらけ出しているようです。先日孫と二人で逃げ遅れたハヤを捕まえに行きましたが、逃げ場を失ったハヤの稚魚は網で面白いように捕れ、孫は興奮気味でした。
田舎の田んぼは9月に入ると水の世界から土の世界に一変します。田んぼの中で賑やかに大合唱をしていたカエルたちは一体どこへ行ったのでしょう。彦生えの伸びた稲の切り株近くには、土に帰った田んぼを喜ぶようにコオロギやバッタが楽しそうに暮らしているのです。水の世界が土の世界になることで田舎の原風景を一変しました。稔りの秋ならぬ稔りの夏を終えると田んぼは来年の4月の田起こしまで深い眠りにつくのです。
「黄金田が 早くも早苗 見まがうよう 彦生え青く 秋の来た知る」
「水張りし 田んぼが土に 変身し カエルに変わり コオロギ鳴いて」
「生き場所を 失いニナたち 仰向けに 人間様は わがのことしか」
「網すくう ハヤの子孫に 捕えられ 水槽延命 少しの間」