shin-1さんの日記

○妻の誕生日

 わが妻の誕生日は昭和20年9月12日です。たった5分の見合いで結婚を決意してからずっと、9月12日は自分の誕生日10月3日とともに忘れたことはありません。その日が来るとささやかながら、妻に誕生日のプレゼントを欠かしたことがないのも私の自慢です。そのことが私の誕生日や子どもの誕生日に影響して、これもささやかながら妻は家族への誕生日のプレゼントを欠かさないのです。親父の誕生日、子供の誕生日に加えて娘や息子の連れ添いの誕生日、さらには孫の誕生日と増えつづける誕生日を、自分の誕生日さえ忘れるよな年代になっても、なお欠かさず祝っているのです。

 昨晩娘と息子の家族がやって来て、ささやかながら妻の誕生パーティーをしました。ショートケーイに毛が生えたような小さいフルーツバーズデーケーキが用意されローソクを5本立てました。妻の年齢は私より一つ下なので63歳なのですが、ケーキについているローソクが5本だったため、「若く見るのだからまあいいか」と省略してローソクに火をつけ電気を消しました。ローソクの光りは幻想的で、孫朋樹が「ハッピーバーズデーの歌を歌って妻はローソクの火を思いきり息を吹きかけて消しました。再び灯りがついてケーキを切り、おしゃべりが弾みました。


 孫二人は何が起きたのか分からず、電気が消えたり点いたりするので、怖くなって泣いたり笑ったりでした。

 私と妻は一つ違いですが正式には20日間同い年の日があるのです。若くありたいと願う妻にしてみれば、それを言うと少し不機嫌にないますが、年齢は如何ともし難い事実なのです。結婚して38年間もこうして健康にいられたのも元はといえば妻のお陰で、特に私の場合は内助の功は一筆啓上に出てくる妻以上だと心ではいつも感謝していますが、いざとなるとそんな気持ちを言葉にいい表すこともできず今日まで来ました。

 妻は八幡浜市の出身です。妻の両親は既に他界していますが兄が二人八幡浜に、妹が嫁ぎ先の長浜にそれぞれ住んでいます。今朝は妹を誘ってお墓参りに孫朋樹を連れて出かけました。病気がちの妹は車の運転ができないので、時々妻が誘っているようですが、姉妹水入りの束の間の一日を楽しんで来るよう送り出しました。

 私はまだおやじが健在です。兄弟姉妹5人のうち4人までもがふるさと双海町に住んでいます。妻に比べるとかなり幸せです。それでも妻は私の親父、兄弟姉妹と仲良く付き合い何の文句もいいようがないくらいです。

 53歳の誕生日を迎えたのを機に、長年パートで勤めている仕事もそろそろ辞めるよう話しましたが、察するに今仕事を辞めうと毎日が90歳になる親父の面倒を見るだけで終わりそうな気もするので、親父の自律の意味からももう少しだけ勤めさせてやりたいと思うこのごろです。

  「誕生日 迎えた妻の ローソクは 五本しかない ただそれだけで」

  「孫歌う ハッピーバーズデー 妻嬉し 五十三歳 私と同じ」

  「誕生日 嬉しいけれど 歳をとる 複雑気持ち 顔に現る」

  「わが妻は 美容院にて 髪染める 若さ回復 惚れ直したり」

 

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