○わが家の紙ごみ
私の元へは毎日のように文書が送られてきます。リタイアした私にとって何でこんなに来るのかと疑うほどの量なのですが、中には無用なダイレクトメールのようなものもあって、ちょっと油断すると書斎の隅や机の上にうず高く積まれ美観をそこねる結果となってしまうのです。その都度重要書類、必要書類、不必要書類に分け、不必要書類はゴミ箱に入れて処分するようにしているのですが、個人宛の紙ごみは紙ごみにも出せず、シュレッダーにかけて処分する設備もなく、結局はダンボールにまとめておいて、家庭菜園の隅にドラム缶で作っている焼却場で焼却処分しているのです。
しかし重要書類や必要書類も自分の感覚で分類しているので、捨て切れずいつの間にか書斎の隅で埃を被ってしまうのです。私への必要書類は講演依頼の文章が圧倒的に多いのですが、講演が終わると必要書類から不必要書類に格下げされるため、これまたその都度処分しなければならないのに、お礼状を出したり、ブログに書き込むため机の上に置いて片付け損ねたものが増えてくるのです。
パソコンが普及して随分片づけが楽になりました。というのもかつてはスライドや写真、それにビデオテープ、参考図書の類が書斎の大部分を占めていましたが、それらは殆どデジタル化されて書斎から消えました。勿論参考図書は人間牧場の本棚にそっくり移転しただけのことなのですが、それでも昔に比べたら整理整頓の出来た部屋になっているのです。
私に来る紙類の中で捨て切れないのはやはりハガキや手紙といったものと名刺です。今は置き場所を決めて書棚の中に置いていますが、これもあっという間に一杯になります。特にハガキ類は年賀状まで入れると相当数にのぼり、これが中々捨て切れず30年前のものまであるのです。
紙類はかつては貴重品でした。しかしデジタル時代になって今はごみとなり処分されるものが多いようです。ダンボールは資源ごみなのでまとめて紐で縛り車庫の隅に置いていて、資源ゴミ回収の日に出すようにしていますが、これを一度雨に当てるともうお手上げの状態になります。私が子どもの頃みかんやリンゴは木箱でした。それが発泡スチロールや段ボールになったのですから世の中も変わったものです。紙の箱にあれほどの強度があってみかんやリンゴを入れれるなんて昔の人なら誰が信じるでしょうか。
今日も久しぶりに書斎の紙類を掃除しました。うず高く積まれていた紙類の約80パーセントがゴミ袋の中に消えて行きました。今日は少し風が強いので焼却は出来ないようですが、明日にでもまた自宅の焼却炉で灰にしたいと思っています。
「一年経っても使わないものは捨てなさい」とは整理整頓を地で行く人の言葉ですが、私の場合はそんなに捨てることが出来ずついつい残しています。特に新聞のスクラップはもう30年もやっていて、ダンボールにかなりの量があり、片付けれないまま段ボールに入れられ倉庫に眠っています。「いずれ整理を」という安易な気持ちが整理整頓を阻んでいるのかも知れません。
新聞やチラシは妻の役目で毎日読み終わったら新しくても古新聞といわれるダンボールの箱に無造作に入れられ、一杯になるとビニール紐で縛られて資源ごみへ出すのですが、新聞は約1かk月くらいは置いておかないと、出張の多い私には読み忘れ見忘れが多く、時折困ることもあるのです。
整理整頓を終えた日には必ず思います。「次から綺麗にしよう」と、しかしいつの間にか処理が遅れてまた元の木阿弥です。今度こそ、今度こそ、今日もそう思い掃除をし終わりました。
「勿体ない 紙ごみにする その度に 心痛めて 焼却処分」
「焼却し 灰となりたる 紙を見て 悪いことする 後ろめたさに」
「ゴミは増え 金は増えない 同じ紙 貧乏人ゆえ 余計に思う」
「今日からは いつも同じ こと思う 何時の間にやら 紙に埋もれて」