○しまなみ海道から瀬戸大橋を巡る旅①
民俗学者宮本常一のように自分の足で歩き記した足跡ではないにしても、私の訪ねた全国の市町村の数も相当な数と距離になってきました。、ましてや僅か二日間で広島と岡山をひた走りに走れるのですから、全国を歩いた宮本常一や奥の細道を歩いた松尾芭蕉、それに全国を地図を作るために歩いた伊能忠敬がもし生きていたら驚くような便利な世の中になったものです。
今回の旅は往路しまなみ海道を走りました。一旦しまない海道を全て走り抜けて尾道の奥座敷のような御調町まで行き、移動落伍寄席を終って同じしまなみ海道を引き返して夕闇迫る頃、井口島北インターで下りて瀬戸田町に向かいました。予定より1時間も早く着いたので島内を歩いて散策しました。
西日光といわれる耕三寺の前の道路を歩きましたが、寺の山門は既に閉門されていました。寺の裏側にある細い路地道を歩いて裏側に出ました。そこにはどの家も立派なみかん農家が沢山あって、このところの雨が降らない水不足のため特産品であるレモンやかんきつ類に潅水する姿があちこちで見受けられました。私はこれまで何度かこの島に来ていて、今では年に一度訪れるような頻繁さですが、これまで島の表の部分しか見ていませんでした。裏側に回ると人々の暮しが息づいていて、何とも温かい風情なのです。一軒のこじんまりした庭が目に留まりました。古さを感じさせる老松を見ていると、そこのご夫婦が散歩から帰ったところでした。不審者と見間違えられても困るので、自分の素性を明らかにして庭を見せてもらいました。ご主人は庭を褒められ余程嬉しかったのでしょうが、「まあお入りなさい。お茶でも」と案内されましたが、急ぎの旅の途中なのでと断り、立ち話をして分かれました。なだらかな路地道は海峡が一望できる海まで続いていて目の前に海と島が広がりました。
対岸は上浦辺りで、遠くに大三島、近くには小さくひょっこりひょうたん島が見えました。
(大三島とひょっこりひょうたん島が遠望できました)
(海の玄関口に架かった黄色い橋の見える風情は何とも味があります)
目を転じれば見慣れた海峡に見慣れた黄色い橋が見えました。ここが瀬戸田の海の玄関口で、対岸の尾道と三原への連絡船が発着する場所なのです。公共交通機関で瀬戸田へ来るのはこの船が一番便利なようですが、夕方のため人影もまばらで、尾道へ向う午後6時40分発の最終便に乗るであろう2~3人の若い女性がアナウンス放送に促されるように足早に桟橋へ向っていました。
(船着場の前にある案内看板を見ましたが、瀬戸田は魅力ある島なので、今度ゆっくりサイクリングでも楽しもうと思いました)
夕闇迫る耕三寺に至る商店街を歩きました。子どもの頃や若い頃にこの商店街を歩いた時は軒を連ねた土産物屋さんで賑やかだったことを思い出しますが、今は閑散として子どもの姿さえも見えませんでした。
(夕闇迫る商店街にはボンボリの鈍い光が灯されていましたが、何処か侘しい島の夕暮れでした)
約束の午後7時が近付いたのではーとふる講座の開かれる瀬戸田市民会館2階多目的ホールへ移動落伍寄席の道具を持って上がりました。受講生の中には顔見知りも多く、懐かしい話に花が咲きました。「一週間前に生まれたという孫悠真君が可愛くって」と目尻を緩める人、「先日はお世話になりました」と人間牧場にやって来た人、「夫婦だけで会話が単調で、今日の落伍を楽しみにして来ました」という人たちと和やかな会話を交わしました。世話役の皆さんは既に高座の準備に余念がなく、引っ張り出した机を二つ並べてにわか作りの高座がまたたく間に出来上がりいよいよ座布団を敷いて出来上がりです。金本さんの紹介で高座に上がりましたが、会場いっぱいの人を相手に楽しく話し、楽しく聞いていただきました。
(女性大半、男性ちらほら出下が、いつも思うのですが瀬戸田の人は楽しい人が多いので助かりました。顔見知りの平山郁夫美術館の館長さんも見えられるなど嬉しい出会いもありました)
私の「話の落ちはどうやらハーモニカの余韻だ」と、金本さんが落伍の始まる前に耳打ちされたことを思い出して、ストーリーのない四方山夜話で終りましたが、この日のダブルヘッター第一試合は御調町、第二試合は瀬戸田町、それぞれ楽しい観客に助けられ無事終えることが出来ました。普通だとこの会場を後にしてしまなみ海道を四国方面へ向うのですが、この夜は全く逆の方向へ走り岡山方面へと向かいました。
「昼の部と 夜の部こなす 移動寄席 笑いの渦に 巻き込みながら」
「島の裏 歩いてみると あちこちに 人の温もり 声かけくれる」
「久しぶり そんな馴染みの 客がいて 私の落伍 聞きに来てくれ」
「青々と 実るレモンの 木の根元 丁寧水やる 農家忙しげ」