shin-1さんの日記

○旅先トイレでの学び

 昨日は尾道市中央公民館の金本さんに招かれて昼間は尾道市御調町夜は瀬戸田町と、ダブルヘッターの仕事をしました。平成の大合併で海の町・島の町瀬戸田と尾道市を挟んだ山あいの町御調町が合併して(他に向島町と因島市も)、新生尾道が誕生したため、尾道と一口でいっても中々広い地域になったのです。瀬戸田や御調町へ行くのにはやはり今治からしまなみ海道を通って行きます。いつもながらの見慣れた光景ですが、多島美を誇る沿線の風景は島と島とを結ぶ現代的橋の造形美も重なって口では言い表せないくらい美しく、独り占めして見るのが勿体ないような気持ちになるのです。

 御調町は旧尾道の奥手にある町で、金本さんから聞いた河内公民館の電話番号をカーナビに入力して走ったため迷うことなく到着することが出来ました。馴れない道なので少し早めに出たため1時間も前に到着です。公民館のホールには既に夕日寄席の高座舞台が出来ていて、凄いことになっていると直感しました。

 そのうちやって来た金本さんと中央公民館長さんと別室で雑談していると、急に雨が降ってきました。カーラジオで聞いた天気予報によると前線の通過で雨が降るかもしれないということでしたが、よく当る天気予報に驚きながら、今日の参加者は出鼻を挫かれたのだろうと心配しました。しかしその心配をよそに会場は満員の盛況でした。わざわざ持ってきた捲りも、公民館が用意してくれた座布団もそろいいよいよ出番のようです。


 間もなく夕日寄席が始まるというので、長旅で忘れていた用を足すべくトイレに入りました。何気なく小便器を見てみると、三つある便器になにやら貼り紙がしてあるのです。一番手前には「もう少し前へ」、次の便器には「もっ一歩前へ」、最後の便器には「思い切って前へ」と書かれていました。公民館のトイレは不特定多数の人が使うため、下品なはなしですがおこぼしで土間が汚れるのを見て、公民館のどなたかの発案で書いたのでしょう。しかいこれが中々のヒントだと直感しました。やはり公民館とは生涯学習の拠点だとも感心しました。

 公民館の学習活動やボランティア活動は役割や機会がないと中々参加するきっかけがつかめないものです。もしこの言葉が便器のおこぼしのためでなく、そういう人たちのために書かれたとしたら、まさにホップ・ステップ・ジャンプになるだろうと思ったのです。しり込みする人たちに「もう少し前へ進みなさい」と手をとってあげるに違いありません。恐る恐る参加した人に、次は「もう一歩前に進みなさいと後押ししてあげるのです。そして少し自信が付いたら自立を促し「思い切って前へ」とい誘ってあげるのです。

 公民館の便所は人生の学びの宝庫です。私が勤めていたころの公民館の便所も色々な言葉が書かれていました。当時の教育次長さんが頓智の効いた方で「西や東にたれかけな南(皆)見る人が北(汚)ながるらん」などと墨字で書いて貼っていたのを思い出しました。

 旅先で出会った色々な教えは中々忘れられないものです。縁あって私は公民館を去った今もこうして公民館に話に行く機会が多いのですが、たとえトイレであっても学ぶ気概があれば学べるものなのです。

 「陰徳」という禅語に出会ったのトイレでした。ある時今はもう亡くなった教育長さんが毎日乱雑になっているトイレの下駄を揃えていました。教育長さんにそんなことまでさせてはいけないと、それ以来気が付けばトイレの下駄やスリッパを揃えるようになりましたが、その姿を見て私に「陰徳」という話しをトイレでしてくれました。人間は人が見ていない時は平気で悪いことをします。勿論トイレの下駄やスリッパも誰かが見ていれば綺麗に揃えれるのに、見ていない揃えないのです。隠徳とは人に見ていないところで積む徳のことですが、私は随分その教えを人にも伝えてきました。

 今の世の中はマナーの悪い人が目立ちます。タバコの吸殻も、ガムをかんだ跡も平気で道端に捨てます。また飲み干したジュースの空き缶も同じです。日本人の日本人たるゆえんはやはり陰徳の生き方だと思うのです。

 この日の落伍寄席は創作落伍ですから、気が付いたことを気が付いたときに話すのが特長です。お陰様でいい一話が出来ました。

 御調町の落伍寄席は盛況のうちに終り、皆さんが帰る頃には激しく降っていた雨もいつの間にかあがり、薄日が射していました。

  「小便を ただ何となく するは駄目 便所も学習 する場所だから」

  「少し前 もう一歩前の その次は 思い切って前 感心しきり」

  「えー毎度 馬鹿馬鹿しいと へり下り 落伍の腕も 未だ上がらず」

  「出囃子の 音もないから 拍子木の 音でごまかす 落伍始まる」 

  

 

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