shin-1さんの日記

○ミカンの木を植える

 わが家の家庭菜園は完全に冬モードで、いかにも寒そうな様相です。文化の日に買って植えたタマネギの苗など、ひょっとしたら植えた時の方が大きかったのではないかと思うほど成長が止まったままなのです。また春のために植えたキャベツも寒らんといわれて、高村光太郎の詩の中に出てくるような、冬の寒さで「まろく育つ」どころか、成長がストップしているような心もとない状態なのです。

 でも冬野菜の王様である大根は生き生きとして、漬物にした後の残りが大きく育って、毎日大根サラダや昨晩のブリ大根、おでんの具財として楽しんでいます。この大根も間もなく表現は悪いのですが「とうが立つ」ことから首を切られて無残な姿を醸すのです。

 そんな菜園畑の向こうに細長く果樹園が続いています。ミカンやかぶすなどかんきつ類が植えられていますが、その主流は甘夏柑で、今年は沢山実をつけ豊作のようです。これらの甘夏柑は寒い冬を樹上で越冬し、夏までその味を楽しむことができる、いわばわが家の自慢の一品なのです。

 これらのかんきつ類は今は亡き母が植えたものです。最初は手入れが行き届かなくて何本か枯れたりしましたが、父が世話をするようになって消毒や剪定などの肥培管理が行き届き随分立派な畑に変身しています。

 その父が昨日の朝私に、「あと4~5本蜜柑類の苗を植えたらどうか」と提案しました。90歳になる親父が苗を植えるというのですから、その元気さに安堵し、昨日の昼間所用で愛媛大学へ行ったついでにダイキのナーサリーに立ち寄り苗木を物色しました。親父は甘夏柑でもといっていましたが、私は甘夏柑は1本にして、ポンカン2本、きよみ2本を買い求めました。園芸店の店先には春の訪れを感じるように沢山の苗木が並び、欲しいほどに手をこまねいているようでした。どの品種も1本千円程度で5千円弱の出費で済みました。

 早速家に帰り、寒くてコタツとテレビの番をしていた親父に買ってきた苗を見せ、二人で植える事にしました。このところの雨で畑は随分ぬかるんで、私の履いた長靴にしっかり大地の土がついてしまいました。親父は念者で苗を植える周囲の草を丁寧に取り払い、穴を掘って植えて行くのです。親父の年齢からして、この植栽も親子で植える最後の思い出になるかも知れないと、失礼な話ですが変な考えが先に立って少ししんみりしてしまいました。裏山の隅に立っている苦竹を5本切って更にその竹を半分に切って支柱を作りました。先を尖らせて地中に突き刺し、紐で縛ってしっかりと固定しました。さあこれで冬の風に倒されることもなく活着することでしょう。

 去年人間牧場に植えた梅とスモモ、今年人間牧場に植えたスモモやブルーベリー、今年わが家に植えたかんきつ類と、このところわが家では苗植えラッシュです。去年植えた梅やスモモは「植えない木は育たない」の例えどおり、一本枯れただけで順調に育っています。春までに更に苗木を植え、妻から「無駄な草刈りばかりしない方策を」といわれた言葉を思い出しながらせっせと小遣いをはたいているのです。

 町内の知人友人から、ミカンを栽培していないわが家へは沢山のミカンが届き、ビタミンCが不足する冬のこの時期ながら毎日楽しくその味を楽しんでいますが、美味しい果物を年中食べれるなんて、幸せな土地に住んでいるなあと、しみじみ思うこの頃です。

  「なんぼまで 生きるの親父 まだ苗を 植える提案 驚きモモの木」

  「思い出が 又一つ増え 親子苗 揃って植える 大寒の頃」

  「母植えし 木から採りたる ミカンの実 仏壇供え 思い出語る」

  「冬野菜 大根以外 冬篭り 春の来るのを 今か今かと」

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