shin-1さんの日記

○31文字の暮し

 朝起きて一本、夜寝る前に一本と、毎日パソコンに向かいブログを2本書くようになって二年半が過ぎました。その途中の急な思いつきで末尾に4首の笑売啖呵を添えていますが、これも何気なく書いているつもりでも駄作ながら一日8首ですから10日間で80首、100日で800首という膨大な数にのぼり、今更ながら何気ない日々の積み重ねの重みを感じるのです。

 「5・7・5・7・7」を足し算すると31文字になります。最初は俳句も考えたのですが、上の句と下の句をつなぎ合わせる妙が自分の性に合っていると思い始めました。しかしいくら文系だと自分で思っていても、能力のない自分には人に読ませたりなるほどとうならせるような才覚もなく、ただ作って自己満足で終わるようなものしか出来上がらないのです。

 先日私の友人で先輩の玉井さんから電話が入りました。彼は絵や書は書ける、詩は作れるそんな才能のない私にとっては何とも羨ましい限りの人なのですが、彼もまた色々な趣味の世界に身を置いています。私と彼の決定的な違いは自分を磨くためにそれなりの人に出会い、それなりのグループに所属して芸域を広めようと努力していることなのです。私の場合はつい最近始めた落伍だって自分流を貫き、人の真似をしたり師匠につかないため、相変わらず土に埋もれそうな雲行きなのです。

 でもこれが自分の生き方ですから、これもいいと思いつつ、相変わらず31文字の笑売啖呵を飽きもせず作り続けているのです。玉井さんは電話で、「このような自由な表現をする句会に入って楽しんでいる。先日もその例会で表彰された」というのです。そして「あなたもその人たちに接触してみないか」と進められました。

 私は二の句が継げず電話の話だったのでその場はお茶を濁しましたが、妻の話によると「これ以上活動領域を広げると、あなたは夢中になる性格だから考えた方がいい」というのです。確かに自分にはそんな能力もないしブログ記事の末尾に書いてささやかながら自分で楽しむくらいで丁度いいと思っています。

 しかし、こうした友人からの投げかけは不思議なくらい自分の生き方をあらためて見つめ直すきっかけになるのです。これまでだらだら作ってきたけど、「お前は笑売啖呵を何のために作っているのか」と、夕べから今朝にかけて疑問が生じ、自問自答し始めたのです。「笑売というが私の作品には本当に笑いという落ちがあるのだろうか」とも思いました。「うーん」と黙り込んでしまう有様です。作り始めた最初の思いはどこへやら、それでもいいと思えばいいのですが、さてどう進化するか、玉井さんから突きつけられた難解な難問にこれから少し悩んでみようと思っています。

 ブログのよさは書いたものを前に遡って読めるということです。バックナンバーから幾つか選んでブログの自分のページを開き、あらためて何本かを画面に出して、末尾の笑売啖呵を読み直して見ました。確かに「オッ」と思ったり「ハッ」とするようなものもありますが、「エッこんなの」と思うようなものもあって、汗顔しきりでした。友人のメールでは何本かの笑売啖呵に食いついて、批評まがいの返信をいただいている様子まで調べることができました。

 早いもので、間もなく後2日で1月も終りです。また一ヶ月のブログまとめプリントアウトの日を迎えます。今やすっかり生活の一部になったブログ三昧の生活ですが、一石を投じてくれた玉井さんに感謝をしつつ今日も相変わらず拙文と駄作を書いています。

  「何のため ただ何となく 暮す日々 それでもいいか それじゃ駄目だ」

  「笑売が 入らないのは 季語のない 俳句と一緒 駄作に過ぎず」

  「ウフフフフ 思わず笑う ネタありて 初めて秀作 目指すはこれだ」

  「妻太る 季節外れの 鏡餅 浴湯溢れて ちょっとオホホ」(自分では秀作)

 

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