○いい指導者はいい後継者をつくれるか
私たちのような、いささかなりとも地域づくりに携わる者にとって、次に続く人を育てることは大切なテーマです。しかし世の中はそんな思いとは裏腹に、中々次に続く人が上手く育たないというのが正直な気持ちです。私たちが青年時代には地元に残る青年も多くいて、青年団などの活動が活発でしたし、青年団長になりたいという意欲を持った青年がゴロゴロしていました。私は23歳の時に他の立候補した2人を相手に、選挙という方法で選ばれ双海町の青年団長になりました。私の人生において選挙というものに立候補したのは後にも先にもこれが最初で最後ですが、幸運にも当選したのです。したがって私は選挙当選100パーセントの、落選を経験したことのない幸運な男なのです。
当時先輩から、「いい指導者はいい後継者をつくる」という話しを聞き、その話を鵜呑みにしながら自分に続く人を育てようとしたものです。確かに自分がそんな意識を持って後輩たちに接すれば、それなりの後継者は育つのですが、自分を越えたり自分と違った考えや行動をする人が意外と育たないことに気がついたのです。あの有名な山本五十六は「やってみせ、させてみせ、褒めてやらねば人は動かじ」と言っていますが、これも一利あるものの、人によっては褒め過ぎると有頂天になって間違った方向へ進む者まで出るのです。
私の親父は腕の良い漁師でした。「漁師の長男と竹の竿は使い物にならない」という言葉が口癖でした。漁師の長男に生まれたというだけで家督を継いだ人間はその居場所に安住し努力しない例えであり、竹の竿は船を操る時竿竹に空気が入っていて、木の竿のように直ぐに海中に差し込めない例えのように解釈しています。そんな例えどおり、「お前は漁師で名を成すことはできない」とばかりに、親父は私を一緒に船に乗った人より厳しく育てました。でも私には厳しいと思っていても他の人から見ればまだまだ甘いと評価されるのです。
わが家の船に乗って修行した人で、腕の良い立派な漁師になっている人がいます。中学校を出ると舵子(弟子)としてわが家の船に乗り込みましたが、若くして父親をなくしたこの人を親父は徹底的にしごきました。県外出漁で僅か5トンの船に乗せ太平洋のはるか遠い三宅島まで一緒に連れて行き、ともに苦労もさせました。今は親父の妹が嫁ぎ親類縁者となりましたが、一目も二目も置く漁師になった彼が、「仕事は盗むもの」という親父の言葉そのままに、潮の流れや魚の習性を努力習得して立派な漁師になってているのです。
青年団の先輩が言った「いい指導者はいい後継者をつくる」も、山本五十六の「やってみせ」も、漁師だった親父の「仕事は盗め」も全て後継者づくりに通じています。しかしそれも相手の人によりけりで、すべてが当てはまるものではありません。
最近まちづくりの現場で私に対する質問の中で多いのは、「若松さん、あなたの後継者は育っていますか」とよく聞かれます。幅広い活動を展開する私の、何を称して後継者と呼ぶべきなのか戸惑いますが、少なくともまちづくりの世界においては、私の後に続く人は沢山います。役所にも、グループにも、地域にも私が育てたというよりは育った人がいますが、私の似たような人は幸せな事にいません。それは私と同じような人を育てても意味がないという私の持論そのままなのです。私と違った生き方をする人、私を越えようと頑張る人、そんな人の後押しをしたいと思うこの頃です。
「去るか死ぬ さすれば人は 育つもの 早くそうする 心の準備」
「俺にしか 出来ない事を 目指すよな そんな若者 育てやりたい」
「その道を 極めなければ 憧れの 人にはなれぬ 後も続かぬ」
「団長に 当選したこと 人生が ささやかながら 今の自分に」