○満月の朝
昨晩広島県福山市から帰ってゆっくりのんびりしたため、今朝はゆっくり起きようと心に決めて寝たものの、やはり習慣とは恐ろしいもので、やはり今朝も4時過ぎに目が覚めました。昨夜強風注意報が県下全域に発令され、窓の外では風の音がピューとうなりを上げています。書斎に行きパソコンを開きながら、「そうだ今日は落伍ライブを頼まれていた」と思い、急な思いつきで人間牧場の水平線の家へ落伍の「めくり」と台本を取りに行く事にしました。町のミュージックサイレンが鳴り出し外が薄明るくなった6時を見計ってトラックを運転して人間牧場へ向いました。海岸国道378号に出ると西の空には綺麗な満月の月明かりが冬の海を煌々と照らし、トラック運転席のの寒さをより寒く感じさせました。そんな光景を見ながらふと過ぎし日の思い出が二つ頭を過ぎりました。
その一つはシーサイド公園を通った時です。このシーサイド公園が出来ても14年になりますが。私は12年間も毎朝4時に起きてこのシーサイド公園の砂浜に立ち、来る日も来る日も毎日毎日砂浜の掃除を続けたのです。冬になると今日のような寒さや風はザラで、寒さの中で海岸のゴミを行ったり来たりしながら掃除したものです。最初は奇人変人のような目で見られたり、そんなええ格好もそのうち辞めるだろうと人々は冷ややかに見ていましたが、12年間の続けたボランティア善行は多くの人の共感を呼び、掃除の行き届いたシーサイドとして内外に広く知られることとなりました。私を信用してもらったこの行動が観光カリスマ百選にも選ばれる一因ともなったのです。反対を押しての夕日やシーサイド公園建設だったため、それなりの覚悟はしていましたが、掃除という思わぬ出来事で信用を得るとは夢にも思いませんでした。結果的には無理がたたって胆のうを患い入院したり酒が飲めなくなりましたが、それでもいい思い出なのです。
もう一つは下灘の豊田漁港を通った時です。今朝は海が荒れていて漁港には黄色い漁船がまるで羽根を休める鳥のように行儀よく並んで港に係留されていました。私は18歳から役場職員になるまでの7年間家業である漁師をしながら青年団活動をしました。漁船漁業の朝は早く午前1時から2時頃にはこの港を出港しエンジン全速で漁場である佐田岬半島へ向うのです。海は春夏秋冬それぞれの季節風が吹き、それぞれの季節に合った魚を求めて漁をするのですが、特に冬海の早朝は寒くて手が凍えるほどでした。それでも午後3時の帰港時には船倉いっぱいに魚を入れて意気揚々と帰ったものです。今朝の海は大寒ということもあって月明かりの海はそんなここを思い出させてくれました。もう40年も前の出来事なのについ昨日のように蘇えってきました。
まだ薄暗い人間牧場から見る夜明け前の瀬戸内海は海からの冷たい風が吹きつけるものの、凛として気持ちがいいものです。トラックの灯りで水平線の家の戸を開け中に入って電気をつけ、押入れから高座本とめくりを取り出し、永井は無用とばかり再びもと来た道をわが家へと引き返しました。時計を見ると6時40分です。片道20分、往復40分でしたが過去を思い出すちょっとした感傷的な時間となりました。
今日はこのめくりと台本を基に「地域づくり人養成講座」に出席し、松山市民会館で落伍ライブをやる予定です。早朝のこの二つの思い出も大切な私のネタ話しとして披露しようと思いました。
「そうだ、主催者であるえひえめ地域政策研究センターの清水さんから芸名由来の大根も持参するよう言われていた」ことを思い出し、これから自宅横の家庭菜園に行って大根を引き抜き洗わなければなりません。寒そうです。
「月明かり 見ては感傷 思い出す 掃除や漁業 明け暮れ日々を」
「もし俺が 掃除をせずば 誰がした 公園見る度 汚れ気になる」
「寒空を 照らし続ける 灯台の 鈍い光は 今も変わらず」
「人は皆 こんな思い出 持ちながら やがて朽ちるか 俺もそのうち」