○病気になって見えてくるもの
私は自称「ポジティブマン」なので、自分でいうのもおこがましいのですが、病気になったり失敗しても少々なことではへこたれない強い精神力を持っています。私を回りの人からは「何がそんなに楽しいの」とか「あなたのような生き方が羨ましい」と時々言われるのです。多分それは何度か患った病気によって学んだことも多分にあるような気がするのです。
私はこれまでに3度大病を患いました。最初は24歳の時過労が元で意識不明になり本人は気がつかなかったのですが死線をさまよいました。当時は家業の後を継ぎ漁師をしながら青年団活動に夢中になっていました。夜更しと大酒のせいだったようですが、そのことがきっかけで漁師の道を断念し役場に転職しました。朝日新聞が「酒を飲み過ぎて公務員になった男」と私を書いた記事で紹介したのもうなずける話です。その時役場に勤める同級生が何気なく発した「お前は永久に私を越えれない」の言葉に発奮し日本一を目指して頑張ったのですからこれまた「ポジティブ」の何ものでもありません。この病気で様々な健康維持方法を学び以後は風邪一つ引かず、腹一つうずかず、35年の役場生活を終えることが出来ました。
2回目の病気は55歳時の胆のうの摘出手術です。健康診断でひっかかり、エコーやCT検査で胆のうにポリープが見つかり摘出手術を受けました。医学の進歩は目覚しく、今は腹に4箇所穴を開け内視鏡で摘出手術するのです。手術はうまくいったのだそうですがそれから痩せ始め68キロあった体重は13キロ減の55キロまでになり、今もその体重のままです。でもこの手術以後あれほど飲んでいたお酒をきっぱり断って8年以上が経ちました。自分で自分を褒めてやりたいような心境で、今は酒なしの穏やかな暮しにギアチェンジしています。
3回目の病気は怪我です。わが家の裏庭が台風の大雨で崩れ土砂災害に遭いました。その折裏山から倒れてきた倒木をチエンソーで切っていて運悪く向こうずねをチェンソーで切って20針も縫う大きな怪我となり20日ほど入院しました。車椅子や松葉杖などのお世話になりましたが、大事に至ったものの大事に至らず元通りの暮しが出来るようになりました。それ以来足腰の鍛錬をしていますが、ぎっくり腰程度で健康に暮らしています。
誰でも健康が一番だと思い丈夫な体を持ちたいと願っています。でも人間は不思議なもので健康な時にはそれ程体の事をいとわないものです。ところが病気になると健康の有り難さがしみじみ分るのです。つまり「有り難さ」とは「難が有る」と漢字で書くように「難」に出会わないと分らないものなのです。私は3度の病気や怪我で様々な事を学び生き方そのものを変えて生きてきました。振り返れば病気にならなかったら見えてこないものが沢山あったようです。
私は少々おっちょこちょいなのか4、5日前、車のドアーを閉める際、小指を挟んでしまいました。目が飛び出るほどの激痛が走り、指先は黒く変色しています。痛みも引いて今は普通に使っていますが、日常の暮しで小指の存在など何も気付かず、ましてや小指なんてただ添え物くらいんしか思っていませんでしたが、小指を怪我してみると、何と不便なことかがしみじみ分りました。小指だってちゃんと役割があるのです。
風邪をひけば妻のいたわりに感謝し、小指を詰めれば小指の働きを思う、この失敗からの学びこそ大切な人間の生き方かも知れません。大袈裟な話ですが、直るような病気ならたまにはした方がいいのかも知れませんね。
「自動車の ドアに挟んで 小指怪我 日頃分らぬ 役割見つけ」
「もし病気 ならずば今も 酒を飲み 巷徘徊 体滅びて」
「病気して 今の自分が あるのです たまには病気 してみるものよ」
「風呂入り スネの古傷 さする度 よくぞ残った 両足立てる」