○池の拡張工事
年末年始にかけてわが家には親類縁者が沢山来ましたが、その人たちは口々に、「池があったはずなのにいつの間にか池がなくなっている?。あの立派な自慢の恋は鯉は何処へ行ったの?」と不思議がって聞くのです。その都度何度も同じような返答をしているのですが、親父にとってはその言葉が辛いようでした。
ところが天候が回復した昨日から庭の隅で、まるでモグラが土を掘るように真新しい穴が掘られ始めたのです。よく見ると小さな池で細々と飼っていた昔の何十万円もする鯉とは比べものにならない安物の、10匹程の鯉はどこかに引越して池の隅は割られ、どうやら池の拡張工事が始まったようなのです。近所の金物屋さんがセメントと砂や割り石を運んできました。私に相談もなくやるものですから、人に聞かれてもチンプンカンプンです。昔は親父とこんなささいなことで口喧嘩をしたものですが、90歳になる親父の戯言と聞き流して見て見ぬ振りをしていました。親父もそれを察してか私の腰の具合が悪いことも承知で、正月休みで帰省中の長男にやれ「石を動かしてくれ」とか、盛んに呼びにきては手助けをさせていました。
今朝は気温は下がっているものの穏やかで風もなく、毎朝の日課である親父の腰にサロンパスを張りに隠居に行くと、昨晩帰った長男に手助けさせるわけにも行かず、「少しの間セメントを練り込んで欲しい」と私に頼むのです。「腰の具合が悪いので無理はできない」と前置きし、食事が終わった9時頃、親父と二人で練り込み開始です。親父愛用の大きいパレットに砂、バラス、セメント、水を入れてこねるのです。やがて練られたコンクリートはスコップで池の底に流し込んで行くのです。これが結構きつい作業で、短い時間ながら汗をかいてしまいました。腰にも負担のかかる作業でしたがどうにか終えることができました。
親父はこの周りに鉄筋を入れてブロックを積み、上塗りをして仕上げるのですが、生半可な左官さんより起用で、いつもながら親父の器用さには脱帽です。私も親父のこんな器用さを受け継げばよかったのですが、世の中は上手く行かないもので、親父からも不器用の烙印を押され、自分自身も不器用を自認しているのです。
親父は90歳ですが今も元気です。若くしてガンを患い、生きるか死ぬかの死線をさまよったのにこんなに長生きして、今もわが家の重要なコツコツ労働を陰ながら支えてくれています。若いと思っていた私も63歳の初老に達してきましたが、老いを親父のように生き生きと生きてみたいと思っています。若い頃は反感・反目した親父ですが今では私の理想を生きているような気がします。
やがて一週間もすれば手づくりの池は完成するでしょうが、捨てるのも可哀想と値打ちのない貰った鯉を手づくり池で買い始めて3年目、その鯉が大きくなって窮屈そうだと池を拡張する優しくも前向きな生き方に、鯉も満足して泳ぐことでしょう。
「庭の隅 まるでモグラか よく見ると 親父穴掘る 新春仕事」
「鯉太る 窮屈だろう 池広く ことなげ造る 親父は偉い」
「卒寿越え なおかくしゃくと やることを 見つけ今年も 懸命生きる」
「庭の隅 親父工房 次々と 出てくる道具 左官より上」