○慌しい一日
「何でこんなに慌しい一日が続くのだろう」と思うほど、今日も昨日に続いて慌しい一日でした。朝4時に起床してブログを一本書き終わった頃、散歩から帰った親父が折から降り出した小雨に濡れて帰ってきたので、風邪をひいてはいけないと着替えをさせ、毎日の日課ながらここのところの出張続きで貼ってあげれなかったサロンパスを貼ってやりました。そのうち妻が書斎へ朝食の準備が出来たと呼びに来て、二人で新聞を読んだり昨日の出来事を話したり、長男の嫁の出産の予定を話しながら食事を終えました。
今日は午前中生協の定例理事会があるので、松山市の郊外にある生協本部に出かけました。いつも活気のある生協理事会も今日の午前中は生協法の改正の説明や環境週間の取組に関する説明が微細に行われたため、比較的穏やかな質問でした。理事会は昼食を挟んで午後1時半頃終わる予定でしたが、昼食時に娘から電話があって、午後の予定を聞かれました。午後3時から私が代表を務めているえひめ地域づくり研究会議の運営委員会がセットされている旨の話をしたら、予定日を過ぎている長男の嫁の陣痛が朝からあるようなので、少し手を貸して欲しいというのです。公的予定を私的なことで変更することは好ましくないと思いつつ、理事長さんや専務さんに仔細は告げずも早引きをさせてもらうよう頼んで、本部を後にしました。
娘は県立中央病院の助産婦です。今は5月に生まれた自分の第二子養育の産休中なのですが、弟嫁の一大事とあって、午後3時からの会議までの間、自分が付き添うので私に生後3ヶ月の赤ん坊と4歳の孫の面倒を見るようにというのです。娘のマンションに行きましたが、娘婿はあいにく大阪に日帰りの出張中とかで、いきなり言われても大変だと思いました。その頃には少し状況が変化していて、結局入院したので長男の嫁はお産に備え入院してしまったので、とりあえず嫁のお母さんが付き添うことと、妻が仕事を休んで孫たちの面倒を見ることの話が進んで、やれやれです。私は午後3時からの会議に出席しました。今日の会議は議題が多く2時間の予定が30分も延長され、結局5時半までかかってしまいました。長男の嫁のお産と、孫のことが気になっての会議が終わる頃、孫から電話です。おばあちゃんがやって来て、お母さんが病院へ行ってしまったので遊んで欲しいというのです。いやはや孫にもて遊ばれるとは・・・・・。
再びマンションに引き返し妻と交替で置き去りにされた3ヶ月の赤ん坊をあやしながら3時間余りも過ごしました。いくら性の良い赤ん坊でも母乳で育てている子どもですから、母乳を搾っているのを哺乳瓶に入れて温め飲ますのですが、ぐずって中々飲んでくれません。抱いたりあやしたりホトホト疲れました。4歳の孫は元気いっぱいでおじいちゃんを相手におもちゃやごっこでこれもかなりの運動量なのです。少しの間外へ散歩に連れ出し松山神社の付近まで散歩しましたが、夕闇が迫り雨もポロポロなので、早々に引き上げてきました。
娘が8時頃病院から帰り、急いで風呂に入らせ、取り出したりしながら寝る準備が整ったので、妻と二人でマンションを後にしました。そして別々の車で病院へ直行し、周産期センター4Fに息子嫁を見舞いました。嫁はお産が近づいているのでかなり苦しそうな姿で、お母さんが付き添っていました。お産など経験したことのない私にはその苦しみやお産の状態など知る由もなく、ただ「頑張って産めよ」と言葉を掛けて病院を後にしました。
相次いで帰った妻は私の食事の準備をして食後は片付け、妻にとっても忙しい一日は11時過ぎまでかかりました。私にとっても忙しい一日でしたが、明日は無事にお産が進み元気な赤ちゃんの誕生が期待出来るだろうとささやかなのぞみを噛みしめながら、0:33の時刻をパソコン画面の横隅に見やりながらパソコンの電源を落しました。おやすみなさい。いやお早うございますかも・・・・。
「今日もまた 慌しくも 過ぎてゆく 同じ一日 二十四時間」
「一人孫 五月に一人 八月も 更に一人が 増える悦び」
「わが家では 少子化なんか どこ吹く風 量産体制 今日も新品」
「息子嫁 今頃母になるために お腹痛めて 眠れぬ夜を」