○何時間の講義に耐えれるか
私はこれまで、色々な場と機会をとらえて講演や講義をしてきました。途中休憩を挟まずぶっ通しでは最長4時間を経験していますが、その時はさすがに疲れを覚えたものです。講演や講義は話す方と聞く方のコミュニケーションによって成立するのですから、話す方が4時間喋っても効く方が4時間聞きっ放しはかなりきついと思うのです。それでも若い時に東京でやった研修会での4時間の講義は、その後の語り草として今も参加者の記憶に深く焼きついているし、私自身も「よくもまああんなことが出来たものだ」と自分ながら感心しているのです。
昨日までの2日間、広島県東広島市の職員研修会に招かれ出かけてきました。前日は新規採用職員に3時間の講義でしたから普通の研修のように事を運び、むしろはつらつとした若い職員からエネルギーをいただく結果になりました。明くる昨日2日目の幹部職員研修は昼食1時間を挟んで午前中3時間、午後3時間の週通講義です。途中に10分の休憩を1回ずつ入れましたが、1日3時間の講義を2回はさすがに疲れました。普通は全員を集めるのですが、幹部職員全員の席を空けることは不可能なので2班に分け、午前と午後それぞれ3時間の話をしたのです。
事務局の方から「同じ話で結構ですので」といわれていましたが、対象者は総入れ替えするものの事務局の方は午前も午後も同席する研修会なので、まるでテープレコーダーのように同じ話も出来ず、前半の中身や休憩時間の取り方に少しアクセントをつけた工夫をしてみました。工夫といっても私のようにアドリブで話す人間にとっては最初から仕組んだ訳ではなく、レジメを用意してもいないので、結果的にそうなっただけのことなのです。
途中1回の休憩を挟んでも質疑応答の時間なしの3時間の講義にはかなりのエネルギーが必要です。運悪く先週の土曜日にぎっくり腰を患っていたため、事務局からは座っての講義を勧められましたが、立った方が楽と判断して3時間立って講義をしました。
市民視点のまちづくりセミナー「市民も職員も感動できる仕事」と銘打った今回の研修は、合併後の自治体にとって最も必要なテーマかも知れないし、自治体職員がプロの仕事師として成果を出そうとする試みは嬉しい限りです。私は35年間役場職員として職員らしからぬ職員として仕事をしてきました。デスクワーク重視の現代の職員から見ると私の仕事は異端にとらえられるきらいがあります。でも市民視点を重視するため時には市民の輪の中に入り、様々な声を聞いて政策に反映してきました。移動公民館もまちづくり組織も、またまちづくりシンポジウムも全て市民視点からの発想でした。しかし時には市民の輪の中から抜け出す冷静な複眼も持ち合わせてきました。
2日間の研修での感想は新規採用職員には未来を語り、幹部職員には過去と今を語ったように思います。未来は不安がつきまといますし今や過去は安心ながら思考の枠を抜け出せない不安もあります。特に50歳代の幹部職員にとっては役所生活にどっぷり使って、市民意識も自分意識も失っている人が数多く見られるのです。私の人間牧場へやって来る団塊の世代の人たちはまさにその典型で、仕事を辞めて寄りかかるよすががなくなった時、「自分は今まで何をしてきたのだろう」、「自分はこれから何のために生きるのだろう」なんて素朴な疑問にぶち当たって、人生の仕上げといわれる60歳からの生き方を組み立てられない人が多いようです。
平成の大合併で大きくなった東広島市のためにもう一分張り、輝いて欲しいものです。それと同時に自分という人間を見失うことなく次への備えが出来るような人になって欲しいという願いを込めて話しました。
私にとって挑戦ともいえる1日6時間の講義は少し疲れたけれど、また新たなエネルギーを充電する機会になりました。
「6時間? よくもそんなに 話すこと あるものですね 妻呆れ」
「想いなら 誰にも負けじ 話する 眠る人なく 俺も眠らず」
「アンケート 結果一報 メールにて 反応ありて 嬉し恥かし」
「若者は 行く道不安 課長には 来た道今に 半信半疑か」