shin-1さんの日記

○石垣

 わが家には人の積んだ石垣が100メートル以上にわたって続いています。この土地を手に入れる前からあった田んぼの石垣は長い風雪に耐え今でも堅牢で、後に敷地拡大のため積み上げたコンクリートブロック積みに比べるとひ弱そうに見えるものの、何処か懐かしく感じられる田舎の風景なのです。この他にもわが家の周りは古い石積みと親父がついた石積みがあちらこちらにあって中々面白く私としては気に入っています。

 つい最近は伝統的な石積みが単価の高さや資材入手の困難さそれに技術者の不足でどんどん姿を消して、コンクリートやコンクリブロックが主流になってきました。スプリットンと称するコンクリブロックを人工破断して擬似的に石に近づけようとしていますが、大小の形だけは真似るすべもなく、結局は同じような画一的となってしまっているのです。

 石垣といえばお城の石垣を思い出します。風林火山の武田節に出てくる「人は石垣人は城」を髣髴するように、上を見上げると反るように積み上げた石垣は当時の為政者が威信をかけ、領民に命令して造ったのでしょうが、そんな石垣も立派ながら、名もなき庶民たちが暮らしの中で造った石垣もまた城の石垣に勝るとも劣らぬ芸術品だと思うのです。

 石垣は石のクセ組みだとしみじみ思います。人工的なブロックとは違い自然石は姿かたちもバラバラで、その石を積み上げてゆくことは容易ではなく、かなりの熟練がないと積んだ石垣が脆くも崩れてしまうのです。石積みの工法には矢積みなど伝統的なものが地域の特性として残っていますが、多分石は重いためそんなに遠くへは運べなかったため、その地域の石の性質によって積み方の特長が生まれたものと考えられるのです。

 わが家の石垣はさして特長のあるものではありません。多分田んぼを造るときに畑の中から出てきた大石小石を拾い集めて畑内処理したものでしょう。そのため近所の岩盤とよく似た茶色の安山岩系のようです。それでもこの石の数たるや相当なもので、今の工事費に換算するとかなりの資金が投入された計算になるのです。

 石垣は手入れをしないと長持ちしません。石垣が古くなると石と石のすき間にコケや土分が溜って、そこに草や木が無数に生えてくるのです。昨日裏庭の7唐メートルの短い石垣の草取りをしました。高さ1メートルにも満たない細長い石垣ながらキャリーに3杯分もの草が生い茂っていたのです。石垣の中ほどには薮椿の木が石垣に自生し、もう腕首ほどに生長していて、草取り掃除の度に勿体ないと遺しておいたので、今では親父の剪定で春には真赤な椿の花を楽しむことが出来るのです。

 人の思いや苦労によって造られた石垣は日本の財産、わが家の財産です。住む人が絶えればあれ程強固な石垣ですら名もなき植物の根によって壊されてゆくのですから自然の力は凄いです。今日本の田舎はどんどん住んでいる人がいなくなって石垣が崩れようとしています。この石垣を造ったのも人ならばこの石垣を守るのも人なのです。人地自然の調和なくして美しい国日本は次世代に残せないのです。

  「石垣が 崩れしままの 田舎行く  住む人絶えて 寂しかりけり」

  「石一つ 一つに人の 技ありて 名もなき人に 思いを馳せる」

  「細長き トカゲ一匹 出入りする 石垣住家 熱射を避けて」

  「上手いこと 積んだもんだと 感心し 草取り作業 汗が噴出す」


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