○迎え火と送り火
本家の長男の家に生まれると年中行事や仏事があって何かと忙しいものです。長男の私は外に出る機会も多く、本家の長男という意識はあってもそれ程年中行事や仏事に振舞わされることはありませんが、長男の嫁たる妻は嫁いでからこれまでの30年余り、年中行事や仏事のその度に厳しい田舎の目としつけが重圧となってのしかかってきたに違いないのです。30年も経つとそれは当たり前のように身体に染み付いて何のわだかまりもなくこなしているように見えますが、長男に嫁を迎えたことやその長男が同居する話が持ち上がる度にそれらわが家の伝統行事を長男の嫁にどう引き継ぐのか、これまた厄介な出来事として頭を悩ませるのです。
わが家では今年の秋、母親の7回忌を迎えます。そのため妻はそのことが頭から離れず準備に余念がないのです。そんな仏事が間もなく来月に予定されているので、今年のお盆はそれなりに長男の嫁の仏事に対する取組を見てみました。
この地方では迎え火を8月14日の早朝麻殻を折って焚きます。8月4日にお寺の住職さんが棚行に来るというので仏壇を構え、お料具を作って供えました。以来お光と線香を欠かさずあげて14日まを待つのです。親類縁者がお盆のお墓参りにやって来て我が家に立ち寄り、仏壇にお供え物をし談笑して帰るので、妻はお盆期間中家を空けることは殆どありません。これも本家長男の嫁の務めと割り切っているようですが、これが中々大変なようです。仏壇のお料具膳を迎え火に合わせて作り、今朝も早く起きて同じような仏壇用の料理を作って供えます。今日の料理やお供えは夕方送り火を焚く時あの世へ帰って行く先祖の霊が持って帰るお弁当や手土産となるものだそうです。
親類縁者は中々口うるさいものです。本家長男の嫁のこうした年中行事や仏事に対する行動をしっかり見ていて、信用を得るまでにはかなりの年月を要したようです。目に見えぬそうした鋭い視線や口に耐えて日々の暮しを組み立てている妻は口でこそ言いませんが偉いもんだと常日頃から思っています。
昨晩母が登場する夢を見ました。親類縁者もエキストラで出演する豪華顔ぶれの他愛のないドラマでしたが、それでも母に久しぶりに夢で会いました。言葉も交わさず夢の彼方に消えていった母は私に何を伝えたかったのでしょう。察するに、「こうして今年も繁ちゃん(私の妻の愛称)に迎え火を焚いて迎えてもらってありがとう。母ちゃんも元気でいるからお前も身体には気をつけて、これからも家族仲良く過ごしてね」てな調子ではなかったかと思うのです。
私を選択して結婚したその日から本家長男の嫁というレッテルを貼られ、そのレッテルに翻弄されながら30年余りを過ごしてきた妻、そしてわが息子の嫁も妻のような厳しい時代ではないにしても本家長男の嫁という地裁ながらもレッテルを貼られる息子嫁、日本の女性はこうして日本の古きも悪しきも清濁合わせて伝統文化を守ってきたのです。それらは古い因習として消え去ろうとしてしています。
「麻殻を 折りて迎え火 焚く朝は 妻の顔立ち 神々しくも」
「迎え火に 両手合わせる 親父見て いずれどちらか 親父のように」
「長男の 嫁のレッテル 外したい そんな風にも 見える妻見る」
「枕辺に 母が主役の 夢ドラマ 母は一体 何を言ったか」