○凄いパワーの婦人会
先日の日曜日、愛媛県では東の端ながら四国の中央と自認し合併した市の名前を四国中央市にした、市の婦人会総会に招かれ出かけました。新宮村、土居町、伊予三島市、川之江市が合併したため婦人会も大きくなり、出席者も多いと思われがちですが、この婦人会は旧市町村単位の婦人会にも何度かお邪魔していますが、とにかくよく集まりとにかく元気です。この日も会場となった三島福祉会館大ホールにはいっぱい人が詰めかけステージで話す私に大迫力を感じさせてくれました。
四国中央市教育委員会職員とのメール・電話のやりとりで講演の打ち合わせを行いましたが、世の中には偶然の不思議な縁があることにも驚きました。先日愛媛県昇任校長・教頭研修会で横の席を引き当てて座った川之江南中学校の河村教頭さん(ブログで紹介済み)のお母さんが、何と連合婦人会の会長さんなのです。しかもこの日は河村教頭先生がお母さんを会場まで車で運ぶというおまけまでついていました。あいにく先生が部活動の指導のためとんぼ返りしなければならないことや、私と時間がずれていて出会うことはなかったのですが、メールのやり取りでこのことがイモヅルのようにつながって思わず苦笑してしまいました。とにもかくにも驚きました。
さて最近は日本全国何処へ行っても婦人会という名の団体は退潮現象が顕著で、消滅したり消滅寸前の姿を目の当たりにします。かつては青年団とともに2大勢力を誇示した婦人会ですが、青年団などはもっとひどい状態でその組織のないまちやむらも多いようです。青年団も婦人会も戦後日本の復興に大きな役割を果たしてきたことは言うまでもありません。しかしそのような伝統が古い支配体質を生み、名前が古いとか役員になり手がなく次々と組織離れが起こり現在を迎えているようです。そんな実態を何とか解決しようと婦人会という名称を止め、女性の集いや女性ネットワークなどという名称に変えてみたものの、中身の変身が出来ず、結局は婦人会崩壊を早めてしまった所もあるのです。
こうした婦人会の退潮を誘発したのは時代の流れに合わなくなったからだけではありません。行政と教育委員会の無策や安易な便利利用による原因も見逃すわけにはいきません。婦人会の役員=夫人の代表と勘違いして全ての公職を押し付け、火事や災害の度に炊き出しなどの雑用に酷使し続けてきたのです。当然役員の忙しさは倍増し「役員は忙しい」というイメージを植え付け役員になり手がなくなったのです。また社会教育団体として指導助言に携わるはずの教育委員会社会教育課も婦人会=婦人学級として文部省の補助金事業を押し付け、本来の婦人会の自由を補助金や助成金を餌にがんじがらめに縛ってしまったのです。特に婦人会の指導助言が担当者の無知で無策過ぎたことも反省しなければならないのです。
「婦人会は何故なくなるのか?」、こんな質問に婦人会の役員は「メリットがないから」と答えます。「メリットって何?」と尋ねたら「シャンプーのことでしょう」何て笑い話が思い出されます。世の中には好きなことだけをする人をこの指止れ的に集めると目的がはっきりするので意識も高く、よく人が集まります。しかし婦人会のような組織は目的が多様で「婦人の暮しを高める」なんて漠然とした目的のためにかえって人の心を引き付けることが出来なくなっているのです。市民には好きなことだけをすればいいといった権利主張型市民もいますが、市民がわが住むまちに何が出来るか義務や参加参画を考えないとまちは自立の方向に向かないのです。
私が提唱するまちづくり3つのキーワード、「楽しい」「新しい」「美しい」は婦人会でも求めて欲しい運度や活動のキーワードのような気がするのです。
追伸
後日私の基に御礼や感想といった沢山のハガキが届きました。打てば響く四国中央市の婦人会に乾杯です。
「婦人会 名前が古いと 女性にし 変えてはみたが いっこう変らず」
「婦人会 活発感じる まちの格 ないまち飛車角 なきに等しき」
「行政の 無策が生んだ 悲劇にも 未だ気付かず 組織崩壊」
「もう少し ゆっくりやろうよ 楽しもう 俺の話は 楽しいでしょうが」