○高知県仁淀川町ルポ③文化物語
昼食をした場所は廃校になった学校でした。「何で廃校?」と思わせるほど立派な学校が、生徒数の激減でついには廃校になった現場をこの数年間嫌というほど見てきました。豊かさを追い求め続けてきた田舎の終着点がこの有様です。今開かれている国会では時あたかも格差国会などと言っていますが、議論の中にはこんな小さな田舎町の学校の苦悩など知らないのか誰も口にしません。でも学校が廃校になり地域のコミュニティが音を立てて消えているのです。先日の新聞だとこれから10年かで1800の集落が日本の各地で消えるそうです。信じ難い話ですが現にこの仁淀川町だって高齢化率は限りなく50パーセントに近づこうとしているのです。高齢化率50パーセント以上を限界集落というのですが、この町は限界町なのです。小学校が消え高校までもが消える運命にあるのです。
でも嬉しいことにこの地域では地域を愛する人が立ち上がり屁のツッパリと言われながらも学校跡を整備してもらい、校区のみんなが集落合併をしてこの学校跡を生かして使っているのです。卒業生にとって学び舎がなくなるのは心の港を失ったような空しさです。また周辺に暮らしている人たちにだって学校は心のよりどころなのです。かつての校長室は食堂と村の飲み屋に生まれ変わり、教室は宿泊室になりました。開業以来2年弱で2千人足らずの宿泊客のようですが、赤字になることもなく細々ながら経営を続けている姿に大きな拍手を送りたいと思います。村の茶の間を充実するために囲炉裏部屋を作っていました。
外には大きな水槽が二つ置いてありアメノウオが人間様に食べられる前の束の間を日向ぼっこしていました。
それにしてもお昼に食べた芋の煮っ転がしや手打ちそばの美味かったこと、何よりのご馳走でした。
校舎の一室にはこんな怪しげな看板があり、番外編で最初に書いたNASAも認める教育長さんの研究室がありました。壁には在りし日の学校を彷彿するような花いっぱいコンクールの表彰状や卒業写真が一杯飾られていました。特に花いっぱいの賞状は私の町も何枚かもらっているので特に興味を引きました。施設の片隅にはその名残の石碑まで建っていて、これこそ文化だと思ったのです。「文化って何?」と訪ねられたらあなたはどう答えるでしょう。文化会館や東京発の文化を連想する人が多いかも知れませんが、私流に言わせれば「文化とは人間がよりよく生きるために考えを形にする営み」だと思うのです。この施設にはそんな文化が一杯詰まっています。是非田舎流の素晴らしい文化を残して欲しいものです。
私たちの一行は長者という集落へ行きました。長者のシンボルとでも言うべき樹齢千年といわれるイチョウの大木に出会いました。息を呑むような木霊宿る巨木でした。残念ながら風説の重みに耐えて少し傷んでいましたが、年月を超えていき続けているこの樹には自然治癒力があるから大丈夫なのです。それにしてもこの地にしっかりと根を下し村の生き様をじっと見続けてきたイチョウの寿命に比べると人間のたかだか100年の寿命なんて端数ほどなのですから大きな顔はできないのです。
妙案その1 まず長者棚田の地図を3枚作ります。持ち主現状地図1枚、耕作現状地図1枚、夢地図1枚を用意します。勿論役場で造ってもらった素図を使ってその地図作りはみんなの手でやります。そうすれば現状と夢のハザマにある問題点が明らかになります。夢地図は区分けをして担当を決めます。夢の実現はみんなではなく俺の役割を明確にしなければ実現しません。
妙案その2 金と人と物を試算します。この試算がないと絵に書いた餅になります。今はその気名なればこれだけ文化的価値の高いものですから、国や県のお金を投入することは可能なのです。人も長者だけでは高齢化しすぎて力もなく、諦め過ぎていて知恵もなく何の役にも立ちません。悪口や足を引っ張るだけの人はもういらないのです。高知大学にお願いして大学生を毎年草刈十字軍なんて組織するのも一考です。
妙案その3 役場の力と外の知恵を借ります。役場にとってもこの文化遺産を守ることは大きな仕事のはずですから、町長さんや議員さんも口だけではなく汗もかいてもらわなければなりません。外なる知恵は情報発信で十分やれます。
妙案その4 シナリオづくりと経済効果への誘導をすることです。どんな素材でどんな人にどれだけ来てもらいどんな経済効果が期待できるのか、農協も役場もみんなで考えれば出来ることです。長者の片隅に小さな良心市がありました。もう既に心ある人は経済をやっています。農協のいり口で鮮魚を売っていました。農協も経済をやっています。やらないのは役場だけです。
まあ色々な手法がありますが、三人寄れば文殊の知恵です。
(山の上にある珍しい池、隕石が落ちたと伝えられている星が窪、昔は近郷から沢山の人を集めて競馬が行われていたようです)
(星が窪の池の近くで大きながま蛙を見つけました。折からの陽気に誘われて冬眠から覚めたのですが、寒波襲来で動くに動けずじっとしていました。)
(星が窪から見える向こうの山には他所の町の風車が沢山見えました)
(澄み切った冬空の向こうに石鎚山が見えました。また反対側の山の頂上には石灰岩を掘り出す日鉱の現場も見えました。須崎までベルトコンベアーで運ばれ船積みされるのだそうです。日鉱のお陰で長者にはアパートが建ち子どもも長者の学校に通っているようです。日鉱がなければどうなったか。印象的な言葉でした。)
「石垣の一つ一つに 汗と知恵 先人生きた 苦悩の歴史」
「文化って? 聞いてあなたは 何思う 思わず腕組み 言葉すら出ず」
「このイチョウ 村の歴史の 生き証人 笑われてます 知恵がないわい」
「地図上の 等高線を 見てるよう 起伏激しい 空まで上りぬ」
長者の自慢は石垣積みの棚田です。昔は美田として脚光を浴びたこの棚田も耕作放棄地が毎年増えて、保存運動に取り組んでいる心ある人の心を痛めているようです。唐突に同行した地元出身の人に何か妙案はあるか」と尋ねられました。