○卵の思い出
先日金融広報委員会から頼まれて野村高校へお話しに行きました。野村高校といえば県下で唯一畜産科のある、そして大相撲で活躍している玉春日関の出身校として知られている山間の高校です。長閑な田舎の高校らしく生徒さんも純朴で私の話を熱心に聞いてくれました。野村高校に通じる国道沿いには高校生が植えた花壇が綺麗に整備されて道行く私の心をすがすがしくさせてくれました。高校生の社会参加や社会貢献がこのように行われている姿に少し感動しました。
帰りに高校で飼育しているウコッケイの卵を1パック教頭先生からいただきました。ウコッケイの卵は普通の鶏の卵より少し小ぶりですが、つい最近健康卵として注目される値段の高い卵です。
私の少年時代はどの家も多かれ少なかれ鶏を飼っていました。鶏の世話は野良仕事に忙しい親に代わってもっぱら子どもの仕事でした。菜っ葉を切り刻んで糠と交ぜて餌箱に入れたり、水を替えたり、時には鶏舎のウンコを除けたり、寒い頃や卵を温め雛をかえす頃には新しい藁を敷いて温かくもしてやりました。鶏の世話をして一番の楽しみは産んだ卵を集めることでした。まだ産んだばかりの温かい卵を手に取った時の感触は何ともいえない嬉しい気持ちになったものです。
しかし辛いこともありました。それほど毎日世話をしていた鶏がイタチや野犬に襲われて見るも無残に殺されたり、大きな青大将という蛇が卵を丸呑みした時です。また卵を産まなくなった親鳥は、大人によって冬の寒い頃首を切られ、毛をむしられて毛焼きされてその夜の食卓にのぼるのです。最初は何て残忍なことをするのだろうと涙が出ましたが、そのうち涙も枯れて「卵を産まなくなった親鳥はこうして人間に食べられて幸せよ」とまことしやかに諭す親の言葉に騙されて、空腹な私の胃袋に収まったものでした。
卵は貴重品でした。卵を入れる籾殻を敷いた木箱が押入れの隅にあって毎日集めた卵を入れましたが、いつの間にかその卵は近所へのおすそ分けや、晴れの日の玉子焼きにされて増えることはありませんでした。私が一番好きなのは玉子焼きと卵ご飯です。今も玉子焼きと卵ご飯が大好きなのはこの頃の影響なのでしょう。特に卵ご飯は熱々の炊きたてご飯に卵を割って乗せ、少し醤油をたらしかき混ぜるだけのシンプルな定番なのですが、これが日本食の王様ではないかと思えるほど美味しいのです。最近山陰地方ではこの卵ご飯をテーマにまちおこしをする所もあって、卵ご飯専用のお醤油も作られたり、卵かけご飯のシンポジウムまで開かれいるようです。
野村高校からいただいたウコッケイの卵は早速卵かけご飯にして食べました。餌にもこだわっているのでしょうかこの卵は鮮やかな黄色をしていて、箸でつついても割れないほどの盛り上がりと濃いさでした。その美味しかったこと、孫でさえもその味は分るのか「美味しい美味しい」といって食べてくれました。
不思議といえば不思議です。あの鶏が何でこんな丸くて美味しいものを産むのか、凡人な私には想像もつきません。卵の値段は相変わらず昔と変わらぬ安値だし、鳥インフルエンザと称する病気が大流行し、宮崎県の養鶏場では鶏が大量死して、皮肉にもその対応が新しい知事さんになったそのまんま東さんの初仕事のようでした。
鶏が先か卵が先かいつも議論される鶏、特売の度にテッシュペーパーと同じように安く粗雑に扱われる卵を可愛そうに思いながらウコッケイの卵を美味しくいただきました。
「卵手に 取る度思う 温かさ 少年の頃 鶏舎の中で」
「熱々の ご飯にポンと 割る卵 醤油一滴 これぞ逸品」
「来店の サービス品に 出る卵 何でこんなに 安いのだろう」
「卵にも 上等品が あるという 一個百円 食えば分るわ」