○三人一車天草の旅・ルポ①
デコボココンビとでもいえばよいのでしょうか、数日前熊本県天草市へ妻と孫を同伴して2泊3日の小旅行をしました。そもそものきっかけは天草市経済同友会の招きで私の講演が予定されていました。ところが年末に重いぎっくり腰になって、一度回復し新年1月3日に今治市玉川町の成人式を無難にこなしたまではよかったのですが、その夜孫を負ぶって親父の隠居まで行って再び腰痛になり、散々な深遠となってしまいました。天草へは飛行機で行く計画を立てていましたが、腰痛を気遣った妻の配慮で車で妻の運転と方針を変更しいざ出発の前日、娘が2子の出産はまだ先のことだというのに体調を崩して入院して、孫の面倒が見れなくなり、娘婿も仕事の都合がつかず結局は三人一車天草の旅と相成ったのです。
孫も妻も天草へ旅行が出来るとあって大はしゃぎのようでしたが、車が重たいというほどに着替えや毛布を積み込み三崎~佐賀関を渡って熊本入りしました。三日間とも冬にもかかわらず風もなく穏やかな天候に恵まれ快適な小旅行となりました。私は熊本小国の山田大蔵君が牛深の道の駅を立ち上げる時にお手伝いの形で数年前訪れているし、昨年は熊本県社会教育研究大会の講師として城南町へお邪魔しているので、すっかり慣れた道なので安心して妻と交代しながら走りました。
天草への道はさすがに遠く、孫の機嫌をとるためあちこちの道の駅でトイレ休憩をしました。
有明海を右に見て走るころリップランド四つが浜という道の駅へ立ち寄りました。目ざとい孫は「おじいちゃんタコの大きいのがいる」と高台から下の国道を見て言うのです。みるとまあ凄い大きなタコが今にもタコツボから出てきそうなリアル感溢れるモニュメントがありました。ありあけタコ海道と名付けたこのサインには度肝を抜かれてしまい、孫は今でもタコ街道のことを覚えているようです。タコ街道はタコ海道でもよいのにとも思いました。
天草五橋が出来て四十年と聞きました。当時年に一度の青年団の研修旅行があり、仲間とバスを一台仕立てて天草五橋巡りでこの地を訪れていますが、四十年でホテルや周辺の整備もされているのでしょうが、第一印象として懐かしいほど「変わってないなあ」と実感し、むしろ橋の鮮やかなペンキの色も色あせてレトロな感じさえしました。
私たち一行は会場となっている本渡を超えて、牛深まで足を伸ばすことにしました。かつて留まったことのある懐かしいふれあい館でひと風呂浴びて牛深に入りましたが、港をまたぐ美しい橋の直ぐ下にある海の駅へ立ち寄りました。まるでジプシーの如く仕掛けをしては去る山田君はもうこの地にはいませんが、情熱を込めて立ち上げた山田君の文字が至る所に張り出され懐かしさを感じながら広場へ行くと、丁度牛深ハイヤ節の普及講座が開けれており、地元のテレビ局のアナウンサーに話しかけられ、牛深まち巡りの番組にも急遽出演するハプニングとなり、魚のお店で食事を食べながら南海放送系列のテレビに出てしまいました。私の経歴などにテレビ局のスタッフは驚いた様子で願ってもない人に出演してもらったと大喜びでした。世の中面白いものです。
「三人で 天草四郎の 国訪ね のんびり旅を 楽しむ余裕」
「牛深で 声を掛けられ テレビ出る これもご縁か 内気口下手」
「土曜日と いうのにここも 人まばら 焦りあきらめ 随所に見えて」
「ええことと 繁栄すること 違うぞと 閑古鳥鳴く 知恵を出さねば」