○韓国ソウル一人歩き
韓国旅行二日目の朝、眠りから覚めので同室の疲れて眠る日浅さんを起さぬようそっと部屋を抜け出し、ホテルの外へ一人散歩に出掛けました。昨夜の喧騒がまったく嘘のように街は静まり返り、道端にうず高く積まれたゴミの山が昨日を思い出させているようです。ホテルの裏山の急な坂道を登ると明洞聖堂という立派な教会がありました。韓国にはやたらと教会があるようで、東洋の仏教の国だというに不思議な感じがしました。その国の歴史を調べてみると弾圧や戦争の度に様々な宗教が起こり、民衆は救いや平和への願いを宗教に求めるようです。多分そんな意味もあるのでしょうが、日本で漏れ聞く統一教会の集団結婚式や最近問題になっている若い女性への性的暴行は宗教に名を借りた大きな社会問題かも知れません。しかしいずれにしても宗教心を持つことは良いことですから、外壁工事のための鉄骨足場の下をくぐり思い切って教会の扉を開けて中へ入ってみました。まさに「叩けよさらば開かれん」です。
早朝だというのに教会の中には既にかなりの人が集まって、ミサが行われるのを待っていました。修道女や一般市民も洗礼を受けたものでしょうか頭にハンカチのようなものを被って何やら小声でお祈りをしていました。次々とやって来る人は皆胸で十字架を切って椅子に座るのです。私は仏教ですが無宗教に近く仏への祈りはそんなにするわけではありませんが、皆に習って座りました。やがて祭主が現れ、皆席で立ってお祈りや賛美歌を歌い始めました。言葉も通じず、意味さえも分らない言葉に戸惑いましたが約30分のお祈りを終えてそっと戸外へ出ました。宗教が分らなくても教会で自分自身を見つめなおす静寂の時間が持てただけでも幸せでした。
板門店の見学を終えての帰り道、自由の橋を見学しました。朝鮮戦争で捕虜となった人たちが捕虜交換の折この橋を渡って自由の身となり、いつしか人々が自由の橋と名付けた橋です。鉄柱に支えられた木製の橋ですが捕虜たちはどんな思いでこの橋を渡ったのでしょう。この橋の向こうには橋のない橋脚だけが残る橋が象徴的に残っていました。また今話題となっている南北を結ぶ鉄道が既に結ばれ新旧対比の橋が象徴的に見えました。
テポドンの発射などで世界中からバッシングを受けてる北朝鮮と、太陽政策を取る韓国とでは、まだまだ主義主張に大きな隔たりがあるようですが、何時の日かベルリンの壁のようにバリアーが取れてこの鉄道を平和の列車が一日も早く行き交うことを望んでいます。
大きなイチョウの木の下で談笑する韓国人の姿が目に入りました。景福宮での光景です。韓国に来て38度線や国境、板門店、日本大使館、国連軍などの話を聞く度に何か分らぬ恐怖感や緊張感を体内に感じていました。また遠望する北朝鮮の山々は殆どが裸山で緑への愛着も感じていました。目にも鮮やかなイチョウの緑色は何とも落ち着くものだとしみじみ感じました。このイチョウが黄色く色付く秋の頃の姿も見てみたいものです。勿論冬も春も四季それぞれの姿を想像しつつ故宮を巡りました。
「風感じ 一人歩きの 韓国で 想いめぐらす あれやこれやと」
「軍隊に 徴兵されぬ 俺の国 母国思わぬ 人が増えてる」
「ただ祈る そんな気持ちで 教会の 門を開けて 中に入りぬ」
「今度来る 時には妻を 同伴し 少し自信の 街を案内」