shin-1さんの日記

○私は何処へ行けばいいのか

 今日は西条市の中央公民館が主催する館長会に招かれ、地区公民館の館長さんにお話をしに出かけました。そんなに急ぐこともないからとゆっくりリズムで高速道路を利用することもなく国道11号線を走りましたが、途中携帯電話で国際会議の打ち合わせと称する電話が入り車を空き地に止めて打ち合わせを済ませたものですから、ついでに今日の会場をカーナビに電話番号で入力しました。ところがその番号が示す目的地は何と旧東予市を指しているではありませんか。東予市や丹原町、小松町が合併して新西条市が誕生したことは知っているのですが、西条市の中央公民館はこんな場所ではないと思いつつ、もう一度入力しなおしましたが、また同じ場所を指すのです。30分ほど余裕があるので、カーナビの示す道路をその通り走ってとりあえずの目標に到達して、施設の入口を見ると看板には紛れもなく「西条市中央公民館」の看板が上がっていました。中に入り担当者に聞くと、合併による施設配置で中央公民館は旧東予に移ったことを聞き納得しました。もし携帯がかからず車を空き地に駐車しなかったら、カーナビに入力しなかったら、多分私は合併前の旧西条市中央公民館へ行ってたかも知れないと思うと、情報化時代の恩恵にしみじみ感謝するのです。

 西条はずっと向こうの・・・なんて思いながら車を走らせると、桜三里を少し下れば早くも「西条市」の看板が早くも目に入るし、合併後の市町村名はまるでチンプンカンプン、看板も作るのにお金がいるのでしょうか市内へ入ると端々の看板には「旧丹原町」なんて旧の文字がいいわけ程度についている看板を良く見かけるのです。

 事なきを得目的地にたどり着いてホッとしてお茶をいただきましたが、今までは東予市で飲むお茶だったのでしょうが、今日は水の都西条市の水で沸かしたお茶ですから、出す方も「水の都の水です。良かったらもういっ杯」と勧められ、ついつい2杯目をお代わりしてしまいました。暑かったせいか冷たい西条のお茶は一服の清涼として喉を潤しました。

 さて公民館の門外な私が館長さんに何を話せばいいのか少し戸惑いましたが、公民館主事として13年、中央公民館長として2年、私設公民館塗師として30年の経験を織り交ぜながら1時間半お話をさせてもらいました。公民館活性化の結論は公民館職員のやる気と指導助言の質にかかっているといっても過言ではないのです。特長のない公民館・命と暮らしに結びつかない公民館・事業バランスが崩れている公民館・子どもや若者が集まらない公民館・青年団や婦人会などの団体が崩壊している公民館・行政に当てにされない公民館・金のない公民館・中長期計画がない公民館・公民館運営審議会が機能していない公民館・公民館職員のやる気が感じられない公民館・マンネリ化した公民館のどの悪口を随分言いました。

 私は只今自由人です。何の責任もないわけですから怒られるのを承知で声高に公民館の悪口話をしました。そして21世紀の公民館の理想像は自立する地域、自立する住民を育てること、そのためにはふるさとを愛する気持ちを育てよう。そのためには読む・聞く・見るといった従来の学習ではなく、書くこと・喋ること・実践することの出来る人たちを沢山育てようと熱いエールを送りました。

 公民館はそのまちの顔であり情報と人の拠点でなければなりません。合併を機にもう一度何をなし何をすべきか考えることが大切ではないでしょうか。

  「カーナビが 私行くとこ 地図をなぞる お陰様にて 間違うことなく」

  「間違いと 勘の違いが ありました 俺の賞味は もう期限切れ」

  「災害時 非難するのは 公民館 社会に貢献 してる胸晴れ」

  「看板を 見てもピントは ずれている こんな所に 何故に看板」

   

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shin-1さんの日記

○マスコミ取材と背もたれチェアー

 昨年3月に役所を退職した時、「ああこれで、長年お世話になったマスコミ関係者とも会えなくなるなあ」と少々寂しさを覚えたものでした。役所生活35年のその度に新聞・雑誌・テレビ・ラジオなどに数知れない程登場し、いわばタダの情報を公共の媒体を使って流し続けて来ました。特にまちづくりに深く関わった20年余りはすごい量だったと、未だ整理も出来ていない新聞のスクラップやビデオテープの山を見て、一つ一つの取材に関わってくれた方々の顔を思うのです。私が始めて新聞やテレビに登場したのは確かNHK青年の主張に応募し、予選審査の結果県代表に選ばれた時からでした。田舎の青年がテレビに出るなんて珍しい時代の昭和43年の出来事でしたからそれはもう町中の話題になって、私は一躍町の有名人になったような心境でした。そして私の30分もの番組が作られてたのでした。その番組の予告記事が「今日の見もの」欄に細かく載った記事も新聞に最初に登場しものでした。

 マスコミに縁のなかったこの1年余りは、私のとって多少の物足りなさを感じていましたが、こんなものだとマスコミに追いかけられない自由さを感じていたのです。それがどうでしょう、「人間牧場を造りたい」という長年の夢を昨年の公友会の雑誌に投稿して、実際にそれが完成した記事を書いたりし始めると、あちこちから堰を切ったように問い合わせや取材以来が相次ぎ、今は人間牧場へマスコミ関係者を案内する回数も増えてきました。

 ラジオ向きを自認する私としては映像媒体より活字媒体の方が有難いのですが、勝手を言えないのでその都度少し違った案内をするよう心がけています。昨日は南海放送の三瀬さんがやって来て、私お気に入りの背もたれチェアーで昼寝する姿をカメラに収めていたようです。私はこの背もたれチェアーが大のお気に入りで、暇さえあれば寝そべって本を読んだり昼寝をするのですが、その発想はフーテンの寅さんが下灘駅に撮影に来た時、下灘駅のプラットホームのベンチに寝そべって夢を見ている冒頭のシーンにヒントを得たのです。このチェアーは息子がインターネットのオークションで買い求め私にくれたものです。私はこのチェアーを自分の書斎に置いて愛用していましたが、水平線の家が出来たのを機に持ち込みました。そして夢見るフーテンの寅さんのように水平線の家で瞑想にふけっているのです。

 背もたれチェアーで見る夢は過去型夢と未来型夢の2つに分かれます。過去型は思い出に帰る夢ですが、6年前になくなった母の夢は最も多く見ますし、少年の頃の夢も数限りなく見ます。先日は畑を耕していたら母が愛用の鎌が出土して驚きました。多分畑仕事の最中に置き忘れたものと思われますが、柄は腐ってなくなっているものの鎌本体は赤く錆びて出て来ました。夢に出てくる母は白い日本タオルで姉さん被りをして鎌や鍬を持ち働いている姿です。今度夢の中で会ったら「鎌が見つかったよ」と報告したいと思っています。

 未来型夢はこれから人間牧場でしたいことが山ほど出てきますし、人生をいかに生きるかなんて夢も沢山見ます。ドラえもんではありませんが今や背もたれチェアーは私にとってかけがえのない夢見舞台なのです。

  「逝きし母 夢に出てきて 鎌探す 耕す土中 錆びた鎌出る」

  「背もたれに もたれて他愛 ない夢を 寅さん同じ 年齢近づく」

  「マスコミに 登場俺は 時の人 そんな錯覚 出来る幸せ」

  「久しぶり 言われてはてな 首かしげ 一年ブランク 長いトンネル」

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