shin-1さんの日記

○文化とは何か・西土佐(20-11)

 トインビーは「文化とは航海である」と言いました。今東光は「文化とは決まり事が守れて街が綺麗こと」と言いました。ある県庁の課長さんは「文化とは何か」という質問に「文化を一口で言うのは難しい」「じゃあ二口で言ってください」「・・・・・・・・・」。亡くなった柳川市の広松伝さんは「俺の街は夏になると掘割に蚊がわいてブーンと飛ぶから文化だ」と笑って答えました。当然あちらこちらで話す機会の多い私に対しても「文化とは何か」という同じような質問が度々寄せれれます。これらの発言や質問でも分るように分っているようで分らないのが「文化」だと思います。さて「文化とは何か」と問われたら皆さんはどう答えるでしょう。広辞苑を引いてみました。「文化とは文徳で民を教化すること」だそうです。分りますか?、益々分らなくなってきました。「世の中が開けて生活が便利になること」「人間が自然に手を加えて形成してきた物心両面の成果。衣食住はじめ技術、学問、芸術、道徳、宗教、政治など生活形成の様式と内容とを含む」文明と同義語。「西洋では人間の精神的生活に関わるものを文化と呼び文明と区別する」と書かれています。文化とは左様に分りにくいものなのです。

 私は「文化とは人間がよりよく生きるために考えを形にする営み」だと説明しています。お茶を飲むことは茶道、花を活けることは華道、文字を書くことを書道、武術を習うことを武道などなど、人間はよりよく生きるためによりよい道を求めてきたのです。

 ところがつい最近、文化行政なるものが流行り、東京発の文化や芸術に触れることが文化だと思ったり、文化会館の立派なのを造ることが文化だとはき違って思っている人が多くなってどのまちも高いお金を出して文化会館の立派なのを建て、利用されぬまま高いメンテナンス料金に悲鳴を上げている市町村が多いことに驚くのです。特に平成の大合併を予測してまるで駆け込み寺のように訳も分らないほど文化会館が建ってしまいました。

 そもそも日本の文化はアグリカルチャーという言葉で表現できるように農耕文化が基底にあるのです。日本文化の基本である農業が機械化や大規模化によって自然の成り行きが無視され、あたかも人間が自然を征服したかのような振る舞いをするようになってきました。文化の基底である農業が危ないのですから文化も危ないのです。

 昨日四万十市西土佐の高台にあるふれあいホールという立派な文化会館をぶらり訪ねました。運良く顔見知りの中平所長さんがいて案内してもらいました。外観もさることながら中の立派なのには目を見張りました。失礼な言い方ですがこんな小さな村にこんな立派な施設があるなんてまさに驚きです。

 固定椅子と移動用椅子を並べると600人は有に座れる、5億円規模のホールです。今は教育委員会が管理するため事務所移転しいますが、説明によると稼働率20パーセントだそうです。それでも地元の太鼓集団が練習場に使っているのでそれなりの成果は上げているようですが、それとて地元が故に利用料金を取ることもできず、四苦八苦しているようでした。

 見学をしていた矢先外は激しい雨が降り出しました。ところがどうでしょう屋根天井を叩く雨音が激しくなって容赦なく室内に聞こえてくるではありませんか。「はいこれがこのホールの欠点です。でもこれも自然的でいいでしょう」と苦笑していましたが、室内で楽器の演奏中に雨音が聞こえたらコンサートも興ざめするかもと一人気を揉みました。

 見てくださいこの天井。まるで東京の一流ホールのような雰囲気です。思わず天井を見上げてパチリ写真に収めました。

 私のまちでもひと頃文化ホールを造って欲しいと隣の町のホールを羨んで多くの希望がありました。でも年間利用計画と投資額の差、ならびにメンテナンス費用が膨大で、結局は造らなかった経緯があります。もし仮に私のまちが文化ホールを造っていたら間違いなく今はお荷物になっていたに違いありません。その時私は町民への文化ホールを建てない理由を「隣町の文化会館を1ヶ月に1回借りて利用者をバスで送迎してもまだその方が安上がり」と説明したのです。勿論建てれば文化団体が育つなど副次的な効果はあるかも知れませんが、それでも全国に起こった文化ホール乱立の無意味さを分ってもらったと理解したものです。でも結果的には合併しそんな予算は組まれるはずもなく、説明責任を果せないでいる自分を悔やんでいます。

 要は文化ホールがあるから文化度が高いのではなく、文化ホールを必要とする時文化度は高くなるという事実を行政も住民も気付かねば、この文化ホールは無用の長物になってしまうのです。そのヒントは旧丹原町、今の西条市丹原町の文化ホールの運営にあるような気がします。一度ご覧あれ。

  「文化とは 何か分らぬ 行政が ホール造って お茶を濁して」

  「このホール 立派なけれど 雨の音 自然とコラボ 時代先取り」

  「天井は まるで東京 丸の内 ただし耳だけ 塞いでみれば」

  「教育を 全て任され その上に ホール任され 課長大変」 


 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○台風10号襲来の中を・本村地区(20-11)

 妻「お父さん今何処ですか」。私「今大洲を走っとる」。妻「西土佐の和田課長さんから電話があって台風が近づいているので、今晩の会をどうしようか思案中なので連絡くださいとのことです。電話番号は・・・・」。私「ちょっと待って、今は運転中なので車を止めるから・・・」。妻「電話番号は○○○○です」。私「了解しました」。

 私「和田さん電話もらったそうですが」。和田課長「ええ、奥さんにも話したのですが日帰りのこともあるし、今日の会はどうしようかと思案しています。あと1時間後で判断しましので・・・・・」。私「青年の家の件で会う人があり早めに出てきました。ここまで来ているのでやる方向で検討してください」。和田課長「分りました』。

 私「四万十市西土佐地域事務所でしょうか。中脇係長さんはいますか」。中脇「はい中脇です」。私「その後雨や風の具合はどうですか」。中脇「はい今のところは小康状態です」。私「じゃあやりましょう。これからゆっくりそちらへ向かいます」。中脇「お気をつけてお越しください」。

 てなような緊迫した電話のやり取りをしながら、ふと10数年前の台風の時の悪夢が甦ってきました。その日私への電話の相手は後の瀬戸町教育長となった浜松為俊さんからでした。瀬戸町塩成での研修会に招かれ行く予定でした。そこへ電話が入ってきて、浜松「台風が接近中でどうしようか思案しています」。私「台風くらいが何ですか。天に向かってブツブツ言うな、雨の日には雨の日の仕事がある」。浜松「よっしゃあ、じゃあやりましょう。直ぐに出発してください。お気をつけて」。昨日とそっくりの電話でのやり取りでした。ところがいざ出発してみると台風が近づくというよりは、台風直撃のため、佐田岬半島の国道197号線に出るとあちこちでは街路樹が倒れ、車が数台まるで亀の甲を逆さまにしたような状態で、この世のものとは思えぬ惨状に思わず後ずさりするほどでした。それでも風に横揺れされながら頂上線を走り、やっとのことで道の駅までたどり着いたのですが、そこから先へは進めず、結局はトンネル内でUターンして三机まで下り、瀬戸町商工会の奥山さんの家を訪ねましたが、電線や屋根瓦が路上に散乱しとても走れる状態ではありませんでした。奥山さんの家も停電で、ローソクを点けてもらいそれから奥山さんと台風の過ぎるのを待ちながら長い長い夜を二人でビールを飲みながら四方山話に花を咲かせました。

 明くる日は台風一過の晴天で、台風の傷跡が痛々しい国道197号を無事帰りました。この話を聞いた妻はあれ以来私の車での遠出には特にうるさくなって、事あるごとに止めるよう促すのですが、私の素行は一向に改められず今日に至っています。

 さて昨夜の集会は、台風襲来や折からの雨、それに私の都合で18日から17日に急遽変えてもらった様々な悪条件が重なり、多分区長さん以外は集まらないかも知れないと思って出かけたのですが、主催者を合わせると20名ほどの賑やかな会となりました。わが双海町にも本村という熱心な地域があるので、そのことも紹介しながら楽しいいおしゃべりに終始しましたが、質問が出たり、帰り際の雑談が多いに盛り上がって20分も超過してしまいました。区長さんの配慮でお茶までサービスしてもらったこと、チョークの真新しいのをご用意いただき、学校から貰ったというワイド画面の黒板に書き込んで説明したことなど、外の雨音を感じさせないものとなりました。雨が降って周辺の散策ができなかったのは残念でしたが、それでも雨降りしきる中を無事帰宅、帰って原研へ入った瞬間、タイミングよく中脇係長さんから帰宅確認のお電話までいただきました。感謝感謝です。

  「台風が 来るから集会 どうするか 電話やり取り 一押し決行」

  「あなどって 大事しよった 過去がある それでも俺は 前向き進む」

  「雨なのに 俺の話を 聞きに来る 腕をまくりて 声高熱弁」

  「西土佐の 雨に比べりゃ うちの雨 まるで霧雨 雨とはいえず」

[ この記事をシェアする ]