○結婚披露宴の司会537組やりました
そんなに結婚式の司会をやったという意識はありませんが、昨日ある知人から結婚披露宴の司会をやってくれないかと内々打診がありました。その知人は自分の結婚式の司会を私がしていたので、夢よ再びと思ったそうです。やれないことはありませんが何が何でもそれはと、妻の助言もあってお断りをしたのです。
調べてみようと書棚に保管していたこの30年余りの手帳を見みると、やはり紛れもなく結婚披露宴の司会は537組まで通し番号がつけられ、1999年5月12日に終わっているのです。プロの司会者ならいざ知らず、これだけの結婚披露宴の司会を素人がこなすことは容易なことではありません。537組といえば毎日司会をしても優に一年半かかる計算ですから気の遠くなるような数字なのです。手帳のあちこちにはナンバーの打たれた○○家結婚式(司会○○時間~、会場町民会館)などと詳しく書かれていますが、多い年には一年間で20組もやっているのですから驚きです。私が司会した全てのけぅこん披露宴を覚えているわけではありませんが、私の司会をしたカップルは離婚率も低くみんな幸せな家庭を築いています。
先月ある研修会で講師に招かれ行った会場で、私が若い頃に司会をした結婚披露宴に招かれて私の司会ぶりを体験した人にお目にかかりました。その人の話だと最初披露宴の案内をもらった時、正直気が乗らなかったそうです。双海町という田舎の、しかも生活改善運動の一環で会費制の結婚披露宴なんて、一生に一度だのにと不振がっての出席だったそうです。でも幕を開けてみるとそんな暗い雰囲気どころかハラハラ、ドキドキ、ジーンとする手作りの、それでいて手間暇かけたどの会場にも負けない実に素晴らしい披露宴だったそうです。彼女はそのお礼が言いたくて走り書きのメモとご家庭で作られた立派なトマトを持ってこられていたのです。彼女も私も感激しましたがふとその時のシーンが蘇りました。
住所が分らずそのままにしておいたのですが、先日知人を介して再び立派なトマトが届き、私はその知人に住所を聞いてお便りを出し、その家を訪ねて双海町特産の煮干しを少しお礼に伺いました。こうしてこの方とはやりとりが始まり、深いご縁を交わすようになったのです。
結婚式も当世はすっかり様変わりし、まるで芸能人の披露宴かと思わせるような華やかなものから、地味婚まで様々です。幸せになれるのならどんなに派手でお金をかけた結婚式でも良いのですが、一分に一組の離婚が定番となった現代では、結婚とは何かという根本を何か忘れているような気がしてなりません。
「結婚の司会を頼まれ辞退する自信はあるがやれないそぶり」
「結婚の司会で俺は度胸つく人の前でもあがらず喋る」
「やったよな涙と笑いの披露宴お陰でわが家記念の品々」
「気がつけばあいさつ増えて司会なくそんな歳になったいうこと」