shin-1さんの日記

○水平線の家の本立て棚に本が並びました

 私はこれまでいかほどの本を読み、いかほどの本から知識を得たのだろう。そう自問自答しながらわずか4畳の、まるで屋根裏部屋のような小さな部屋の書斎に備え付けられた二つの書棚から、幾重にも詰め込んだ本を水平線の家に運ぶつもりで取り出しました。出るわ出るわで、あっという間に部屋中が本だらけになってしまいました。妻曰く「お父さんこれ何」と驚いた様子でしたが、妻の驚きよりも私自身の方がもっと驚きました。こんな小さな書棚によくもまあこんなに本が入っていたもんだと感心せざるを得ませんでした。

 私はこの本を軽四輪の後ろに3回に分けて無造作に積んで山道を水平線の家に運びました。本は重いので車のタイヤもへこむほどでしたが、どうにか運んで水平線の家に運び入れ、本棚にこれまた無造作に並べました。するとそれまで殺風景だった家の中がまるで別の家に行ったみたいに輝いて見えるのです。しもうた、もっと早く本を移動をしていて、下灘中学の生徒が来た時に読書について話してやりたかったと思ったのですが後の祭りでした。

 昔は調べ物といえば本しかありませんでしたから、様々なジャンルの本を用意して自分の手元に置き、自分の疑問を解き明かしていました。今本を読むのは新しい知識を得るためであって調べるために本を開くということは殆どなくなりました。調べるにはインターネットで十分過ぎるほどの情報が手に入るのです。そういう意味では私の部屋の本はこの部屋に置くことの意味もなく、もう既にお役ご免となるのです。しかしこの本は私以外の人にとっては知識を得る本になる訳ですから、水平線の家での読書の意味が生まれてくるのです。

 しかし私が35年かけて集め読みした本の数は凄いもんだと思います。今まで小さな書棚に押し込んでいて見えなかったのですが、こうして一目瞭然に並べてみるとその凄さが分ります。勿論その本の全てが身についてはいませんが、折々に読んだ本からの知識は私の人生を蔭ながら支えてくれました。

 普通セカンドハウスと称するものは遊びの空間ですから、こんな難しい本など必要ないのですが、水平線の家は遊びの空間といえども立派な学びの館です。疲れた心と体を癒すのも結構だが、ここでの学びが新しい自分の発見になることを期待しています。私の持論は「学習とは自分の発見」です。

 早速私は、私専用の背もたれ椅子に寝そべって「安岡正篤の人間学」を読みました。人間牧場建設をこの地に思いついてから約1年、やっとここまでたどり着いた水平線の家での初読書となりました。今日は天気予報が外れ、曇りのち雨だったのに何故かうららかな春日和、その陽気に誘われてついつい眠気をもよおし、ついつい10分ほど昼寝とあいなりました。これも初昼寝でした。

  「俺の知恵並べた本から授かった読んだ昔を思い出しつつ」

  「探したが見つからなかったあの本がこんな所に眠っていたとは」

  「貧乏の最中内緒で買いました傍線手垢捲れば出てくる」

  「この本も今は無用となったけどあの頃みなで回し読みした」

[ この記事をシェアする ]