○えひめ人権同和教育への投稿
投稿といえるかどうか分りませんが、昔馴染みの教育委員会の職員から原稿を頼まれ、僅かな時間で書き上げ送ったのは昨年の年末だったと思います。すっかり忘れていたらその原稿が掲載されたNO.100号の機関紙が5千円の図書カードとともに送られてきました。この記事は妻に内緒で書いたのですが、妻が呼んでくれと言うので、まるで孫への読み聞かせのような形で読むと、まあ、私だけが悪者なの、と不満顔でした。「僕が選んだ人だから」と題したその原稿を紹介しておきます。
平成の大合併で自治体の特別職を辞するまでの35年間、何らかの役所の肩書きで仕事をしてきた私は、この4月から殆どの役職を離れた。余命を楽しく暮らそうと多少の憧れもあって自由人の道を撰んだが、世の中には肩書きをその人の値打ちだと勘違いし、去っていく人もいれば、以前にもまして人間的な付き合いをしてくれる人もいるから面白い。
そんな矢先、わが家の長男に結婚話が持ち上がった。いくら結婚は二人の問題といいながら、私は古風な88歳になる私の父、近所に沢山いる親戚、娘夫婦や弟二人など、結婚に当って相談すべき人たちのことを考えた。長男が数年の付き合いで選んだ一人の女性を、何のわだかまりもなく結婚相手として受け入れることができるか、長年人権・同和教育にかかわってきた私が試されるとあって、私なりに色々と考えさせられた。結婚が人生の全てではないといっても、適齢を越えかけた長男の結婚に一人気を揉む妻の喜びと不安は相当なものでああった。家族会議で「相手を調べてみては」と主張するも、長男の「部句が選んだ人だから信じて欲しい」の強い言葉に、「おじいちゃんにも聞いてみないと、親類もあることだし、あなたはどうなの」と迫ってくる。同席した次男、三男は「兄ちゃんが選んだ人だから兄ちゃんが決めればいい」と長男の援護射撃に余念がない。頑固で古いと思っていた大正7年生まれの親父さえも「将来を決めるのは二人だから」と静かなエールを送ってくれた。
結局、妻一人の孤独な意見はかき消され「何かあったらあなたが・・・・」のt間の捨て台詞でOKとなった。それまで何かにつけて反感反目していた長男は、口にこそ出さないものの「話の分る親父」と思ったらしく、近頃はすこぶる中の良い親子関係を維持するようになった。
それにしても「何を調べるん」「僕が選んだ人だから信じて」「兄ちゃんが決めればいい」と、母親を諭す言葉を言った3人の息子たちは何処でどんな教育を受けたのだろう。学校教育の成果か、はたまた親の教育が良かったのか定かではない。しっかりとした結婚観や人を信じることの大切さをいつの間にか身に付けた子どもたちに、大きな拍手を送りたい気持ちであった。
人の夢は年齢とともにしぼむもの、しかし還暦と定年を同時に迎えた私はサンデー毎日の日々ながら、夢の風船を膨らませ目を輝かせて生きている。海の見える小高い岡の上で「人の心を解き放つ人間牧場を経営したい」と思っていた念願の構想も、家族の後押しや建築家を目指す長男のアイディアを取り入れいよいよ完成間近かとなった。家族とともに向き合った長男の結婚話は、幕の途中ながら結果的にハッピーエンド
になりつつあるが、やがて迎えるであろう次男・三男の結婚話という二幕・三幕のストーリーも、家族の深い絆を確かめ合いながら困難を乗り越えていきたいものである。
私がいなくても地球は回るし歴史も動く。人生もまた何気なく過ごせばそれでも一生は終わる。しかし、どう生きたかという人生の意味を確かめながら生きることが重要ならば、タブー視され疎かになりがちな「家族の人権」をお互いが意識し、尊重して生きることこそ人権の基本かもしれない。長年の人権教育とのかかわりは知らず知らずのうちに自分の心を変えていた。人権教育は結局自分づくりなのである。
「投稿の雑誌とともに図書カード学生次男やると喜び」
「他人事と思って話す問題もいざ自分だとまるであやとり」
「投稿の妻が悪者物語読んで聞かせて二人納得」
「いつの間に小雀大きく成長し親に諭しの言葉言うよに」