○輝いている人
昨日ある団体から講演の依頼がホームページに寄せられました。時代は変わったもので、講演依頼をパソコンが代役してくれるのです。私の「名前は知っていても電話番号が分らないので」という注釈の後に、希望する日時と会場など、電話で話してもこんなにはいかないと思うほど講演に必要な条件が書かれているのです。私は早速予定表を見て「快諾」のメールを送りました。見ず知らずの、しかも声も聞いたことの無い」相手と商談成立となったのです。依頼文には「講演の演題をお知らせ下さい」とあるので、相手が希望している話の内容を基に「輝いて生きる」と書いたのです。
演題が決まってから書棚の本を2、3冊縦読み乱読して仕込みを始めましたが、「輝いて生きる」ということについて話す場合、「輝いている人」とは一体どういう人を言うのだろうと、私の周りで輝いて生きているような人を2、3人思い出しました。
私の町に富岡喜久子さんという女性がいます。彼女は漁協女性部の部長をしながらシーサイド公園でじゃこ天を起業したおばちゃんです。女性としての気品もリーダーとしての指導力も抜群で、書けて喋れて実践できるまれに見るいい女なのです。彼女との出会いは私が公民館主事として駆け出しのころ知り合い、結局はまちづくりの世界まで同行二人活動をしてきました。年齢は高くもう老域でしょうが、決してそんな年齢には見えないのです。探究心も旺盛で常に前を見て生きています。彼女を見ると「ああ生きているな」と思うのです。
手前味噌で恐縮ですが私の妻の若松繁子さんも、前述の富岡喜久子さんから見ると月とスッポンって感じですが輝いているなあと思います。富岡喜久子さんが太陽の輝きなら若松繁子さんは月の輝きだと思います。4人の子どもを生み育て、わがままな夫を輝かせるために功名が辻の千代ではありませんが内助の功発揮しています。祖母と母を看取り、父の面倒も見ながら近所の歯医者さんに勤めて民生委員までこなす超多忙な女性です。特にわが家にやって来る年間1500人もの人の中で、逗留や研修生の面倒を長年にわたってサポートしてくれました。
私は遠い存在の富岡喜久子さんも、近い存在の若松繁子さんも輝いている人だと思いました。結局「輝いている人」は、明るく、逞しく、希望を持って、楽しく、人のために尽くす、よく働く、人間関係が上手い、言葉遣いが上手、金銭感覚が優れているなどなど、幾つもの共通点があることが分りました。妻はさておいてとさて置きがちになりますが、私も随分考えるようになったものです。身近な妻の存在を有難いとこうして歯の浮くようなお世辞が書けるようになったのですから・・・・。ああ恥ずかしい・・・・・・。
結局輝いている人は、心と体がまるで貸借対照表のようにバランスよくなっている人だと思いました。
「輝いて生きてる人を数えれば二番目思う妻の偉大さ」
「何気なく過ごした二人の40年同行二人人という字に」
「あれこれと輝き条件指折るが明るく楽しい人が一番」
「パソコンで講演依頼の文届く快諾日時予定書き込む」