○わが愛する美川町・その②
私は今回の双海町の視察に当って美川町の人たちに、「合併後のまちづくり」というタイトルをつけてお話をしました。フェリーで三津浜に着くとバスに乗って双海町へやって来ました。その後役場の一室を借りて合併後の双海町の現状をつぶさに話しました。合併によって行政サービスはどうなったか、住民の負担はどう変化したか、旧双海町と市役所がどんな関係にあるのか、夕日によるまちづくりの継続はどうなっているか、役場周辺の変化はなどなど、新しい伊予市なった11ヶ月を微細に検証しました。みんな驚いていました。合併のすりあわせで聞いた夢のような話と双海町のの目の当たりにした現実の落差に驚き、まちづくり推進協議会の規約案や役員の人選案など、間近に迫った3月20日の合併前の本当に緊迫した中で、美川町の自立に向けたマンパワー体制が、何と海を隔てた双海町で目論まれたのです。それは明治維新前夜の寺田屋騒動にも似ていました。まさに双海屋騒動でしょうか。
自治会やまちづくり推進協議会立ち上げに深く関わった総務課長さんと企画課長さん、それに若い担当者は松山の宿舎で夕食を取りながら安堵の胸をなでおろしながら夜遅くまで話し込みました。特に企画課長は今年度末を持って定年退職というこれまたドラマチックな幕引きが目の前の仕事とあって、感慨深げでした。 私は仕事柄、色々なまちののまちづくりについて相談を受けたりお手伝いや助言をしてきましたが、ここまで深く関わった町はそんなにありません。ですから岩国という新しい街に合併し自治体が消滅する美川町への想いは大袈裟な話ですが人一倍持っています。まさにタイトルの如く「わが愛する美川町」といった気持ちです。 国の財政破綻や地方分権から始まった合併のドラマはいよいよ第一幕が終わろうとしています。やがて開こうとする第二幕のストーリーはやシナリオは残念ながら配役さえ決まっていません。多分幾ら住民が頑張っても合併した大きな街に飲み込まれてしまい、双海町のような末路を辿るのかも知れません。でもこの3年間、自治会とまちづくり推進協議会の立ち上げのために努力した美川町は、努力しなかった他の町に比べてはるかに大きな果実をものにしました。
地域審議会を立ち上げた地域では、年に2回程度の会議で団体長が物申し、行政側の「意見を聞いたがお金がない」という形式的に協働と参画の行政になっているの姿が多いと風の便りが聞こえてきます。
私も及ばずながら新しいまちづくりに向かって動き出した美川町をこれからも愛してゆきたいと心に強く念じました。
「自治会ができた直後に大洪水人命財産守れてほっと」
「合併で役場の周りは灯が消えて人も通らぬ事故は減った」
「見ると聞く大きな違い合併後こりゃ大変と頭抱える」
「こんなこと他所の役場で目論んだ数年後には思い出話に」
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もしかすると視察に同伴しなくてよかったのかもしれません。
前進するためには原状から目を逸らしてはならないとは思いますが社会がどのような形態になったとしても子どもを育て生きていくことに変わりはないのですから、、、
どのような「わが町」にしたいか夢をもっている今のほうが勢いがあっていいかもしれません。
廃藩置県が実施される前にもどるだけやと思えば気が楽かもしれないです。
双海町には旅行気分で行きたいものです。