shin-1さんの日記

 ○わが愛する美川町・その①

  自然や歴史がよく似ていて名前をつけたのか、全国には同じような名前の町がたくさんあり、合併前は同じ名前の町がそれぞれ寄り合ってサミットや協議会を開いて盛んに交流をしていたものでした。しかしその成果も出せぬまま、合併をきっかけにその殆どが解散をしてしまいました。町長や議会、それに町民代表が集まって調印をしたり相互訪問をしていたのが、自治体がなくなると出来なくなるからというのが解散の大きな理由だそうですが、私はその姿を見るにつけ、「ああ行政はお金があるからやったのか」と首をかしげずにはいられません。お金があろうがなかろうが、合併しようがすまいが真の交流を目指していたのであれば、合併後こそこの交流は住民の力で続けなければならないのではないでしょうか。

 愛媛県内でも吉田町、城辺町、美川村、中山町、松前町がそれぞれ県外の同じな前の町と交流していましたが、合併しなかった松前町を除けば、それらの町は合併を前にみんなが予算を使って集まり、解散式までやって大酒を飲んで分かれたといいますから理解に苦しみます。

 元々姉妹町村は終い町村といわれるように調印だの首長や議員の交流に名を借りたタダの研修旅行ではないかと批判を浴びておりました。殆どが消滅した今はそのそしりはぬぐえない事実となりました。

 私は3年前、山口県美川町から合併後のまちづくりについて相談を受けました。「合併後に機能する自治会とまちづくり推進協議会を立ち上げてほしい」とのことでした。現職の教育長でもあったので最初は公式には出来ませんでしたが、2年後に合併する自分の町とダブらせながら職員と知恵を出しながら考えました。私が出向いた講演会は6回にも及び、私の助言と職員の力でまず自治会がモデル的に出来みんなで高齢化に対応したまちづくりを進めるためにフィールドワークや調査を実際に行い住民の発表会もやりました。偶然にも昨年台風で大水害が発生し、自治会が大きな力を発揮できたことで、町民や役員にも自治会の必要性が認められました。 そして昨日、最後の仕事であるまちづくり推進委員会を立ち上げるに当って、みんなで双海町へ研修にやってきたのです。

  「姉妹町合併すれば終いですそんな浅はかするんじゃなかった」

  「本当は今こそ欲しい友なのに金知恵ないから全てオジャンに」

  「風船に夢を吹き込み飛ばしたる美川のまちに菜花生えるか」

  「少しだけ涙流して別れたる美川の人よ頑張れ励まし」

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