○セミ・リタイア
若いころは、安定はしているものの組織に働く何か分からぬ幻影に脅え、55歳くらいでリタイアして余力のあるうちに次の生き方を考えようとしている人は意外と多いようです。しかしその歳になると子どもの教育などに翻弄され、また管理職という居心地のよい職責にどっぷりつかって、知らず知らずのうちに定年を迎えてしまうものです。
定年がなければ誰だってリタイアなんて考えなないでしょうが、世の中の現実は厳しく、先日まで部下だった人の元で再就職を余儀なくされて安月給で働いている人もまた多いようです。
セミ・リタイヤという言葉があります。半分リタイアして仕事は手段、目的は後半生と割り切って人生を謳歌する生き方が最近注目を集めています。
外国人の夢のリタイアの三条件は、①自分たち名義の住宅(できれば住宅と別荘)、②財政的な蓄財、③長期的な投資だそうだが、①まず健康、②ともに歩く良きパートナー、③やりたいことがある、④明確な財政計画という四条件を上げる日本人もいる。私はどちらかというと後者の日本人的な考えのほうに近いが、別荘とまではいかなくても今まさに、人間牧場に水平線の家を手に入れようとしているから、前者の生き方も理解できます。
私は飯が食えたらそれでいいと財政的な明確な裏づけもないままリタイアしてしまいましたが、その後様々な仕事が舞い込んで少しだけセミ・リタイア的な生き方に近づきつつあるように思います。
先日良きパートナーの条件はと聞かれて、私はまったく正反対な自分に気がつきました。厨房はやらない、洗濯掃除はしない、土日はいない、買い物には付き合わない、典型的な昔人間なのです。大きな声ではいえませんが、もし妻に何かあったら私は餓死するかもしれません。
先日急な雨で洗濯物を取り込んでいたら、親父に「明日雨でも降るのでは」と散々からかわれました。
海外派遣を引率してニュージーランドへ行ったとき、食事の後片付けをする現地の人を見て感心したものですが、自分の食べた茶碗や皿を流し台に運ぶことしか実行していません。情けない限りです。
もっと妻とのパートナーシップのあり方について学ぶと同時に、要は実行することでしょう。
「お父さん風呂貯めてください」「あらあら風呂が溢れてますよ」なんてことはしょっちゅうです。反省だけならサルでも出来るのですから、もう少し成長したいものです。