shin-1さんの日記

○私の似顔絵

 私はこれまで3枚の似顔絵を書いてもらいました。一枚は似顔絵ロボットです。昔工業技術センターに行った折、勧められるままにロボットの前に座ると、何とロボットが似顔絵を書いてくれるのです。人間はその人の顔の特徴を誇張して書くのですが、この似顔絵がまた忠実で、ひょっとしたら私を一番正確に書いてくれた似顔絵かも知れません。残念ながらその似顔絵は何処かにしまい忘れてしまいましたが、黒い筆ペンで書いたお気に入りの一枚でした。

 続いて書いてもらったのが山口県岩国市へ講演でお邪魔したとき、色紙に漫画チックに書いてもらいました。これはどちらかというと笑点という落語番組で、冒頭に出演者を紹介するテロップで流れるような似顔絵です。これは相当気に入って今でも大切にしています。教育長に就任した頃インターネットのホームページで使って好評を得ておりましたが、今は退役して書棚の隅でひっそりと過ごしています。しかしいずれはブログの画面に登場させたいと密かに思っています。

 三つ目は似顔書きの名人長浜町の西田さんが書いてくれたものです。彼はカメラを持ってひょいと私の前に現れ、二・三枚写真を撮って帰って数日後、木の板に私の似顔絵を書いて持ってきてくれました。これが実に私の特徴をよくとらえていて、歯並びや眉まで誇張するものですから、当の私も思わず吹き出してしまいました。気恥ずかしい面もありますが、折角書いてもらった似顔絵ですからと、海舟館に飾って来館者に見てもらっていますが、思わず笑いがこぼれます。

 人間は同じような背丈をして同じように暮らしていても、顔や体の姿形から滲み出る自分らしさは人と何処か違うものです。時にはそれが嫌で、スターなどと自分の違いを感じ生み育ててくれた親を恨んだ利するものです。しこし人間全てが足が長く顔が整っていたらどんな世の中になるでしょう。荘です。みんな違う顔形だからいいのです。ロボットを含めて3人の人が書く表情さえ違うのですから、蓼食う虫も好き好きです。もっと自分の顔に自信を持って生きたいものです。

 そういう私も自称ラジオ向きの顔だと講演会などで自慢しております。渥美清だってあの顔で国民栄誉賞を貰ったのですから、私だってこの顔に自信を持たなくては、天国にいる母に済まないと思います。顔やスタイルを鏡に映して不細工と嘆く世の諸君、自分の顔に大いに自信を持とうじゃないか。

 済みません。いや済みました。

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shin-1さんの日記

○大きな忘れ物

 愛媛県では、昨年から今年にかけて台風の上陸が相次ぎ、各地に大きな被害をもたらしました。私の家の裏山も崩れ、その後片付けをしている最中に不注意からチエンソーで足を切って入院する羽目になりました。今でもその古傷が時々痛みます。

 台風の時は消防団の皆さんが自分の危険も顧みず、警戒したり土嚢を積んだりして財産や人命を守ってくれました。

 最近気付いたのですが、そのとき使った土嚢が何故か片付けられもせず、うず高く積まれているのをあちこちで見ます。水害の時はわれ先に奪いあった土嚢も、要らなくなったら放置する。人間なんかこんなものかと人間のわがままに多少呆れています。特に道端の土嚢は車に踏み潰されて中の土が無残にはみ出て、夏草が生え美観を損なうようなものまであります。

 さてこの土嚢は誰が処理や始末をすればよいのでしょうか。消防関係者か自治会か、それとも市役所か当事者か、教えてくれる人もいないものですから勝手に片付けるわけにもいかず困っています。市役所支所に話をしても「調べときます」で何の音沙汰もありません。この分だと来年の梅雨時まで放置される運命にあると思うと、何だか土嚢が可愛そうになりました。バチが当らないとよいのですが・・・・・・。

 土嚢は私たちが子どもの頃稲藁で編んだムシロで袋を作り、その中に土を入れて縄で縛ったものを使っていましたが、今はナイロン製の軽くて強いものが使われ作業も随分楽になりましたが、それでも雨の降りしきる中での作業は、腰を痛めるほどの重労働です。

 最近は消防団も高齢化や、入団を渋る人もいてなかなか厳しいと関係者から聞きました。少年防火クラブ、婦人消防班などあの手この手の普及活動は大変だとしみじみ思います。消防団は字のごとく火を消す、災害を防ぐ日本が世界に誇るボランティア団体です。特に防災も地震対策など幅が広いものですから、私たち自治会も消火や防災のお手伝いをするような気構えが必要です。

 ブログを読まれた方、妙案を教えてください。

 

 

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shin-1さんの日記

○長距離フェリーに乗って

 日本は島国だけあって、全国各地の主要都市を結ぶ長距離フェリーが走っています。時間的余裕のない現代人とって、のんびりと船旅を楽しむ余裕なんてないものですから、主に貨物輸送に使われているようですが、例えば京都舞鶴と小樽を結ぶ航路は一度は利用したいと思っています。

 ところで昨日、仕事で福岡県須恵町に行くため、私は松山ー小倉間の長距離フェリーを使いました。夜9時55分に松山を出向した船は瀬戸内海を走って早朝5時に小倉の港に着きました。あいにくの雨模様でしたが、船を降り各駅停車の鈍行列車を乗り継いで、8時には須恵の駅に降り立ちました。降りてから駅長さんに聞いて気が付いたのですが、アザレアホールのある目的地は一駅先のこと、時間もあるのでゆっくりのんびり歩いてみました。秋風に乗って金木犀の香りが漂い、醤油屋の古いレンガ造りの煙突や町並みを鑑賞しながら、今度の旅はまさにスローライフだとしみじみ思いました。途中路を尋ねた若いお母さんは親切に路を案内してくれたし、人情の温かさも味わいました。

 仕事が終わって再び同じ道と同じ電車を乗り継いで、長距離フェリーの人となりました。今朝5時に松山観光港に着きましたが、九州旅行だというのにホテルに泊まることもなく戦中で2泊しました。船は片道だと4千円、往復だと何故か割引で6千8百円、小倉ー博多間1千2百円、帰りは途中駅からなので1千80円、しめて8千2百80円と今回も安価な旅は大成功でした。飛行機に乗れば片道だけでも1万7千5百円ですから、えらい違いです。

 しかし世の中には私たちが寝ている間に、社会のシステムを動かしている人が意外と多いことに気がつきました。長距離トラックの運転手さん、フェリーの乗組員さんなど様々な場所で黙々と働いているのです。

 フェリーを降りるとき、乗組員さんが「有難うございました」と声を掛けるのに、「私は金を払っている客だ」と言わんばかりに誰も無口で列をなし足早に去っていきました。私は「有難うございます。ご苦労様」と大きな声で言ったら、次の人も少し小声で「有難う」と後に続きました。乗組員さんの顔が嬉しさを表現しているようで気持ちよかったです。もしこの乗組員さんが「無口でしたら「多分お客は「あいさつも出来ない横着者」とののしるでしょう。お互い様の心であいさつぐらい返したいものです。

 年老いたおばちゃんが大きな荷物を持って四苦八苦、私は自分の荷物も両手に抱えていましたが、「持って上げましょう」と荷物を持って階段を渡りました。おばあちゃんは別れ際「有難う。助かりました」といって両手を合わせ拝んでくれました。こちらも思わずいい気分になりました。世の中左様に小さな新設が小さな和みの花を咲かせるのです。雨もあがり傘が無用の長物となりましたが、傘を忘れることもなく無事家に帰りました。泊まりに来ている孫が「おじいちゃんお土産は」。しまった忘れました。でも絵本を見ながら大きな船の話を土産話をしてやりました。孫が習いたての「海は広いな大きいな・・・・・。を歌ってくれました。

 余談ですが、レーダーがあると言いながら、船はあの暗闇をよく目的地に進みますね。船員経験のある私は分かるのですが、暗闇を走るときは自分の船も暗闇にしないと、自分の明かりで相手が見えず危険なのです。私の発見した「暗闇同化」の理論です。自分の位置を知らせる最小限の光を発しながら周りと同化することは人生においても学ぶべきことが多いと思います。

 

 

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