shin-1さんの日記

○懐かしい写真が届く

 2006年10月7日、島根県隠岐西ノ島で牧畑シンポジウムが開かれました。主催したのは守る会の角市正人さんたちで、私はそのシンポジウムの講演に招かれたのです。そのことはこの日のブログで詳しく書いているので省略しますが、隠岐といえば新婚旅行に出かけた思い出の土地なので、隠岐本島と西の島へこのシンポジウム以外で相次いで招かれた時、もう一度新婚旅行に行った隠岐の島へ行きたいという妻を同伴しました。仕事で行くのに不謹慎と言われるかも知れませんが、隠岐では斉藤博さん、西ノ島では角市正人さんの熱烈な歓迎を受けて、妻の記憶には隠岐、西ノ島の思い出とともに斉藤さん、角市さんは忘れられない人となったのです。特に西ノ島町の町議会議員をしている角市さんからは度々メールが入るし、時折自分で摘んだ岩海苔や海に潜って獲った貝類が送られてきて、何かにつけて思い出が蘇って夫婦の会話の中に度々出てくるのです。

 そんな角市さんから一昨日メールに沿えて写真が送られてきました。日々の忙しい暮しに忙殺されてもう忘れていた思い出の写真です。私に比べれば殆ど外に出ない妻にとって、西ノ島の思い出が鮮やかに蘇えるのは当然のことで、妻に見せると懐かしそうに見入っていました。そして言うのです。「まあ懐かしい。あの頃は私も若かったのね」?だそうです。僅か3年くらいしか経っていないのに「若かった」もないもんだと呆れましたが、女性にとっては若く見られたいと思う本心の言葉かも知れないと一人笑ってしまいました。

 私は見かけによらず昔人間で照れ屋ですから、妻といえども肩に手を回したり手を組んだりすることは殆どありません。ですから新婚旅行に行きながら二人で撮影した写真が一枚もないのです。でもこの写真はどういう訳か何の恥じらいもなく角市さんのカメラに向かってこんな格好をしているのです。あー恥かしいですね。

 このツーショットは朝早くレインボーという境港へ向う高速船に乗るため桟橋に着いた時のスナップですが、相変わらず木になるカバンを提げているようです。

 人にはそれぞれ思い出があり、それが写真に写っていると見る度に思い出が蘇ってくるものです。カメラが庶民の間にそれほど普及していなかった私たちの子ども時代は、思い出の写真など学校の記念写真くらいで、数えるくらいしか残っていません。それが簡易カメラが普及し、また最近ではデジカメが普及して、自宅で簡単にプリントできる便利な時代になりました。またそれらの写真はデジタルデーター化されて劣化することもなく保存されるようになりました。しかしその写真はいつでも取り出せる半面、自分の個人情報でしかなく、他人には見れないものとなり、家族でさえもその存在に気付くことは殆どないのです。私がこの3年で撮り続けている写真の枚数はそれこそ驚くべき枚数なのです。

 便利さは反面を裏返せば不便です。でも角市さんから思わぬ写真の送付をしてもらい、夫婦で旅した思い出を蘇えらせてくれたのは嬉しい限りです。

  「送られた メールに添付 思い出の 夫婦の写真 嬉し恥かし」

  「さりげなく 肩に手をやる 姿見て 昔はこんな ことせぬ自分」

  「思い出も 記憶の彼方 失せている 思い出したる あの日あの時」

  「若かった 冗談じゃあない まだ三年 今も変わらず 若いんですよ」



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shin-1さんの日記

○金融広報委員会の会長さんと夕食会

 酒を飲まなくなって9年目の春がやってきました。あれほど頻繁に酒の席に出ていた私ですがこの9年間、飲み会は確実に減り続け、飲み友達の中には音信不通になった人もいるのです。私の家は幸せなことか不幸なことか分りませんが、松山から25キロという好位置にあり、飲む人間にとっては楽しい歓楽街があるのです。そしてその地域には県庁など官公庁がやたらとあって、そこに勤める知人友人が沢山いて、私を飲み会に誘ってくれました。お陰様でいい人間関係を築くことができましたが、それだけが原因ではないにしても、万分の一は原因で胆のうを患い、今の自分があるのです。

 先日金融広報委員会事務局の山下女史から電話があって、「会長さんと夕食をしませんか」とお誘いを受けました。先日金融広報アドバイザーだった前田さんがご勇退される際の夕食会を、仕事の都合で欠席したため、会長さんが気を使われたのだろうと思うのですが、喜んで参加する事にしました。

 昨日は昼頃からあいにく雨が降り出しましたが、待ち合わせ時間の午後5時30分に日銀の前で出会いました。私は隣のえひめ地域政策研究センターでの話がついつい長くなり、少し遅れての到着となりました。山下女史と傘を並べて咲き始めた八重桜の下の三番町通りをゆっくりと話しながら歩き、大街道を通って小粋なお店へ到着しました。会長さんは別の会合に出席して直接来たらしく、既に到着して待っていてくれました。

 日頃の会議では主催者挨拶をする姿を参加者として遠目でしか顔姿を見ないお偉い人なのですが、どうしてどうして気さくな方で、外から来てたった一年ながら愛媛を知り尽くしているような話題の豊富さにすっかり聞き惚れてしまいました。少しお酒が入るとお互い饒舌になるのは世の常ですが、私もいつしかウーロン茶で酔ったような気分になり、失礼を省みず色々な事をお話させてもらいました。

 私のようなリタイアして何の役職も持たない人間なのに、私に会うため私が書いた「今やれる青春」という自著本を読み私を理解した上で出会う真摯な姿には深い感動を覚えました。聞けば休みの度に県下各地を私的に回り、ふたみシーサイド公園から見る夕日は何枚も写真に収めているらしく、私の欠点も見抜かれているような感じがしましたが、それもまたご愛嬌なのです。先日は坊ちゃん劇場で思いがけない出会いとなりました。

 最近始めた私の落伍や、木になるカバンに忍ばせて持ち合わせていた落伍高座本「夕日徒然草」まで買ってもらう羽目になろうとは思いもせず、加えて「赤トンボ先生」が作った竹トンボも買ってもらいました。今朝は赤トンボ先生こと窪田さんに、「日銀の支店長さんが赤トンボ購入第一号」と報告する予定です。

 久しぶりに料理に満腹、話に満腹で約3時間の夕食会は区切りをつけ、人間牧場での再会を約束し、おいとましましたが久しぶりにほのぼのとした気持ちで雨の夜道をわが家へ向いました。

 日本の景気は緩やかな成長を続けているそうですが、愛媛という地方ではそんな実感はありません。都市と地方の格差は益々広がるばかりのような気もします。でも会長さんの言われるとおり、愛媛には全国に誇るいいものがいっぱいあります。多分いいものの中に埋没して見えないのかも知れません。また思い切った改革が必要なことも、情報発信の仕方が不味いことも同調すべきご指摘でした。会長さんの憂慮は若い有能な人材が首都圏に奪われていて将来の愛媛が危ないといわれました。これも私と同じ意見でした。

 私が常々思い行動している「いいことは始める」「悪いことは止める」ただこれだけの価値判断でも、愛媛は少しずつ変わるはずです。急激な変革を望まず安心と安全の上に胡坐をかくような愛媛県民のひとりとして、昨晩の学びは大きな収穫でした。

  「偉い人 思える人が 謙虚にて しみじみ思う 俺も謙虚に」

  「異文化に 出会って俺の 感性は ワンランクだけ アップしました」

  「自著本を 買ってもらって 恐縮す 竹のトンボも 一緒に添えて」

  「退任を 決意望んだ 夕食会 逆に激励 またも困惑」

 

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