shin-1さんの日記

○夕日夕焼け物語

 今年も双海町内小学校3年生の児童全員が今日から3日間、潮風ふれあい公園で合宿をしています。今日は牛の峰という町のシンボルとでもいうべき山に登山したそうです。山頂までは10キロ近くの道程で、この暑さの中をテクテク歩いて登ったため、子どもも引率した先生もみんなヘトヘトのようでした。この道の途中にはメダカの学校があって、校長を務めていた川口さんが存命中は、何度となくこの道を通って環境問題を考える集会に出かけたりまちづくり人を案内したものです。また同じような所に若宮さんの立派な廃屋があって、その家を利用したフロンティア塾は10年で40回続き、その度に多くのまちづくり人とこの道を行ったりり来たりしたものです。初めて子どもたちの登山に同行した和田翠小学校長さんの話しだと、車道を歩いて登山したためかなりの時間を費やしたそうです。何年か前福本夏芽さんと魚見真理さんと私の三人でふるさとの名山登山を企画して、海抜ゼロメートルから歩く登山を企画して同じような道を辿って登ったことが懐かしく思い出されました。かつては山や谷の稜線を歩く一直線のような生活道や登山道がありましたが今はその道は荒れるに任せて歩けないということでした。ここにも過疎は廃村の憂き目が見え隠れしているようです。

 今日は合宿研修に参加している子どもたちに夕日の話をして欲しいと学校の先生から頼まれていました。ところがどういう訳か私の予定表には明日の夕方になっていたのです。前日の夕方担当の宮岡先生からお電話があった時も私はてっきりそう信じて予定を立てていました。

 今日は忙しい日で、午前中は生協の理事会に出席して午後1時から県庁で打ち合わせ会があり、午後3時からはホテル大和屋本店で肥料屋さん組合の総会で記念講演を頼まれていました。その後の夜のレセプションにも出席を予定していたのですが、妙に気になって翠小学校の山田教頭先生に電話で問い合わせたところ、私のミスと分り、急遽レセプション出席をキャンセルして急いで帰り事なきを得たのです。

 子どもたちを戸外に連れ出し、私が在任中に作った電柱を利用した長い長いベンチに座らせて美しい夕日を見ながらの夕日の話を話しました。登山で疲れている子どもたちに気を配り出来るだけ早く終わろうと約30分間お話をしました。今日の夕日はとても素晴らしいもので、もやがかかって残念ながらダルマの夕日とまではいきませんでしたが、ドラマチックに沈んで行きました。

 宮岡先生の配慮で子どもの質問に答える形での対話もありました。「なぜ夕日を使ってまちづくりをしようと思ったのですか?」屋、「双海の夕日は何処の朝日ですか?」などなど活発な意見が出されましたが、この夕日をオンリーワンに仕組んだ話を全て話すにはかなりの時間が必要なため、「昇る夕日でまちづくり」という自著本を読むよう勧めました。

 私はこれまで「夕日夕焼け物語」をどれ程の人に話したことでしょう。でもやっぱりふるさとの子どもたちに話すのが一番の楽しみです。この子どもたちの全てがこの町に残るとは思いませんが、ふるさとを離れてもきっと双海の夕日のことは忘れない思い出として心に残して欲しいと思うのです。

 ハーモニカで「赤トンボ」と「夕焼けこやけ」の2曲を吹きました。心に染みる音色でした。

  「この子らに 伝え遺せし 物語 夕日見ながら 郷学教え」

  「夕日など 何処にでもある 資源だと いわれ続けて 二十年経つ」

  「この夕日 どこか国では 朝日だと 思って見てる 不思議なるかな」

  「ハーモニカ 心に染みる 音がする 目で追う夕日 耳追う音色」

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shin-1さんの日記

○セミの一生

 夏休みになると町中が何処かしら賑やかになったような錯覚にとらわれます。子どもたちの声が聞こえるし、町外の知らない顔が海水浴などにやって来て町をわが者顔で闊歩するのです。もちろん人間ばかりでなくあちこちからはセミの鳴き声も賑やかに聞こえています。

 車でラジオを聴いていると、「子ども何でも電話相談」で面白い相談が寄せられているのも夏休みの特長です。「妖怪とお化けは何処が違うのでしょう」とか、「蛇は全部尻尾のようですが何処から何処までが尻尾ですか」とか、私たち大人でも答えられないような質問がどんどん出てきて、それに専門化がアドバイスを込めて答える話に思わず聞き入ってしまうほどです。

 今日松山の会議に出かけるため車に乗ってカーラジオをつけると、この番組でした。「○○君、今日の相談は何ですか?」。「セミは土の中で6年も暮らしているのに成虫になると僅か一週間の命だそうですがどうしてそんなに短いのですか」。普通だと「?・・・・・・・・?」で終わるのですが、「○○君はどうしてだと思う?」何て返されると子どもは「分りません」と即答するのです。

 回答した専門の先生の話しによるとクマゼミは卵1年、幼虫5年の計6年を土の中で過ごすのだそうです。外国には「13年セミ」と呼ばれるような13年間も土中過ごすセミもいるようで、一斉に羽化して木に止るとセミだらけになって木を枯らすことだってあるというのです。こんなに土の中で長く過ごすのに地上で羽化すると僅か一週間とは誰が考えても長すぎるのです。しかしこれはセミの一生という自然が決めたメカニズムなのでどうすることもできないのです。むしろその事を疑問に思うのは受精してから10月10日体内で過ごし、生まれてから80年も生きる人間の一生というメカニズムとの比較で短いとか長いとか言うのであって、セミの世界から考えると人間の一生も不思議といえば不思議なものなのです。多分セミの世界ででも夏休みになると電話相談があって、セミの子どもが「どうして人間は体内に10月10日いるだけなのに生まれてから80年も生きるのですか」何て質問をしているのかも知れません。

 セミを追いかけて遊んだ子ども時代が懐かしく思い出されますが、セミの命ははかないものだと知ってからはむやみにセミを取らなくなったような気がするのです。

 今日もセミたちは「夏が来たよ」と精一杯の力を振り絞って鳴いています。せめてその鳴き声をうるさいなんて思わずに夏の風物詩だと思って聞いてやろうではありませんか。

 週末には虫に請ってる孫がわが家に遊びにやって来ます。セミ取りもカブトムシ取りもねだらればやらなければなりませんが、せめてセミの話をしてやりたいものだと思いました。

  「セミが鳴く 僅か七日の 命にて せめて上手いと 褒めて聞きたし」

  「六年も 土の中にて 暮らすそう セミに生まれず 良かった胸を」

  「抜け殻の 一つにセミの 物語 木の葉止まって 何を語るや」

  「午後三時 暑さ倍増 セミの声 クーラーもなし ウチワ片手に」


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