shin-1さんの日記

○婦人教育指導者地区別研修会

 今日は今治市で開かれた婦人教育指導者地区別研修会に招かれました。はっきりしない梅雨空を気にしながら山の中を縫うように走る国道317号線を走りました。松山市の郊外にある温泉地奥道後を過ぎると石手川ダムがあります。10日程前までは貯水率が前年を下回りダムの湖底まで見えていたのに自然の力は偉いもので、ここ数日間の雨によって満水に近いほど水量が戻っていて、まるで別のダムではと思うような変貌ぶりでした。しかし川から流れ込む水のせいか湖面はかなりのゴミも浮遊していて、これが松山市民の飲料水になるのかと思うと少々不安になって、簡易水道といいながら私たちの町の水の方がよっぽど綺麗だと思いました。多分この水は塩素消毒されて各家庭に配水されるのでしょうが、塩素は体内に入っても大丈夫だと分っていても、やはり気になるところです。

 国道の入り口が石手川ダムなら出口は玉川ダムです。このダムは今治地方の水源になっていますが、南予や中予の降雨量に比べ東予地方の今年の雨量は少なかったようですが、それでもここに来て雨量が増えて、このダムも湖面が随分広がって、今年の夏はどうやら持つのかなあと思ったりもしました。

 女性の研修会に行くのにはやはり台所問題や環境問題は意識の隅に置かねばならず、そんな気持ちもあってダムの水をを気にしながらの会場入りとなりました。会場には沢山の女性が集まって分科会の最中でした。賑やかなそれでいて熱心な女性の喋り声が今治市中央公民館の会場にこだまして、まるで蜂の巣をつついたような賑やかさでした。早速心のこもったお茶や昼食弁当をいただきました。午後は地元女性たちの踊りがアトラクションとして披露され、うっとりと見とれてしまいました。さすが女性パワーは違いますねえー。

 私の話は「女性が輝くまちが輝く」というタイトルでしたが、会場には先日お邪魔した四国中央市連合婦人会の面々の顔もちらほら、しかもその講演内容が地元新聞に大きく取り上げられていたことを講演直前になって思い出し、急遽内容を変えるハプニングとなりました。それでも1時間10分余りの持ち時間を余すことなく使いきり役目を果たすことができました。

 私が話す相手はゆりかごから墓場までと言われるように子どもから高齢者まで様々ですが、やはり今日の聴衆のような年代が一番話しやすく、打てば響く反応は会場を揺るがすほどの大迫力でしたし、確かな反応を感じました。

 近頃婦人会が危ないと色々な場所で聞きますが、どうしてどうして先日の四国中央市といい、今日の東予地区といい捨てたものではないようです。東温市から出ている県連の山本会長さんとお話をしたのですが、中予や南予は少し湿りがちだといったら、先日の中予研修会も300人も集まったそうで失礼な話をしてしまいました。どうやら婦人会の斜陽化は双海町の問題だったようです。失礼致しました。

  「このような 汚れたダムの 水を飲む 消毒するから 余計心配」

  「一人だと しとやか女性 大人数 笑い転げて 入れ歯ガクガク」

  「まちづくり 女性主役の 時代です 男は家で 留守番程度」

  「共感を 受ける話を する私 賞味期限の 過ぎた年代」 

 

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shin-1さんの日記

○違う世界に生きる従兄弟

 私の父親は12人兄弟、母親は6人兄弟です。したがって私の従兄弟は両手の指どころか足の指を加えても数え切れないほど従兄弟がいます。父親方の叔父叔母は4人が亡くなっていますが8人はまだ健在です。母親方は残念ながら6人とも冥土へ旅立ちました。しかし私が既に62歳、父親が90歳ですから、押して計るべく叔父も叔母もそれぞれ高齢化しつつあるようで、会う度に体力と気力の減退を感じるのです。

 昨日5歳年上の母方従兄弟に会いました。彼は小さな製材業を営んでいましたが、65歳を機に廃業し今は息子や娘も結婚独立したため悠々自適の生活をしているようです。特に何年か前に母親を亡くしてからはささやかながらセカンドハウスを買い求め、暇さえあれば自宅とセカンドハウスを往復してスローライフを満喫しているのです。日ごろは音信も途絶えていてお目出度お悔やみや法事くらいしか出会わない彼ら夫婦の暮らしぶりを聞くと、私とはまったく別の世界に生きているようなので驚きました。

 若い頃からどちらかというと人との付き合いが苦手な彼にとって一番の相手は奥さんであり、二番も三番も余りなさそうなのです。私のように不特定多数の人に囲まれて暮らしている人間とは月とスッポンくらい違うのです。ですから会って話しても新聞とテレビからの話題には事欠かない広い視野を持っているように見えますが、対人、対地の話題となると近所付き合いの向こう三軒両隣くらいでまったく疎いのです。朝起きてから寝るまで夫婦の人間関係と近所に住む長男家族との接触しかないようにも思え少し哀れに感じました。前回会った時、「金も暇も体力も車あるのだからもっと動け」と年下なのに偉そうな言葉を浴びせましたら、その言葉が堪えたのか今は旅行はするし研修会などにも参加し見違えるようにはなりましたが、それでもまるでジュウシマツやおしどりのようにつがいの人生を過ごしているようです。

 従兄弟夫婦はパソコンもやらず携帯電話も持っていません。こんな情報化社会でシンプルといえばシンプルなのでお金もかからないのでしょうが、パソコン大嫌いな私でさえパソコンをいじる時代に、「せめて携帯電話を持ちパソコンくらいしたらどう」と誘うも、その誘いには「加齢を言い訳に乗ってこないようです。

 もし私から人間とパソコンを取ったら果たして何が残るのだろうと、従兄弟の暮しと私の暮しを比較して見るのです。私の生きがいは人に会うこと、私の暮しはパソコンで情報のやり取りをしブログを書いて日々の暮しを組み立てることです。人とパソコンを道具と考えるならば私は従兄弟にはない生きがいを持っていることになります。

 でもよくよく考えると私の身の回りに暮らしている私年代の人たちだって、従兄弟と同じような暮らしをしているのですから、私が違う世界にいるだけなのかも知れません。今に生きる人、過去を引きずって生きる人、未来志向で生きる人など生き方は人それぞれですが、私はもう少しの間未来志向で生きてゆきたいと生きる世界が違う従兄弟の暮らしぶりをみて思いました。

  「従兄弟でも 違う世界を 生きる人 どちらがいいか 比較も出来ず」

  「パソコンに 毎日向かう わが時間 従兄弟は何を しているのやら」

  「妻といる 時間少ない ふと思う 従兄弟見習い も少し会話を」

  「パソコンも 携帯持たず 一生を 生きる暮しが 本当なのかも」 

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