shin-1さんの日記

○再訪馬路村

 人の思いとはこうも人と人とを結びつけるものかと思うほど、馬路村との交流は更に深くなっています。一ヶ月ほど前一件のメールが私のインターネットに送られてきました。送り主は東京の電源地域振興センター振興支援部人材育成課からでした。正直このような団体があることすら知らない私へのメールには、7月5日馬路村で四国電源地域市町村研修会(ニーズ研修会)をやるから講演をして欲しいというのです。残念ながらこの日は佐賀県に出張中と返信しましたが、馬路村農協組合長の東谷さんと日時を入れ替えることで合意し、出かけることで日程を組みました。

(切符の関係で新幹線のぞみには小倉から広島まで乗車しました)

 佐賀行きの前日は大学の講義日、馬路村の明くる日は双海町の少年少女おもしろ教室などで手がいっぱいだったのですが、時刻表と首っ丈で新幹線のぞみのスピードに助けられ、広島経由で四国に帰り寝る間を割いて馬路村入り、馬路村では午前の講義の後ワンコイン講演会が組まれたため、帰りは午前1時過ぎというまさに超ハードなスケジュールをこなしてきました。佐賀では梅雨の晴れ間で助かりましたが、昨日は一日中雨の中での研修会となりました。

(鮎釣りのメッカ安田川の清流)

(安田川に沿ってまるで路地のような狭い道を走ると馬路村へ到着します)
 電源地域の研修会には徳島県の旧友小坂さんも偶然にも見えられていていましたが、DVDの音声が出ないハプニングもありましたが、それなりの話は出来たように思ういます。

 それにしても1ヵ月も経たないうちに2回もこの遠隔地へ来るとはただただ驚きです。その間愛媛県で東谷組合長さんと研修会や酒宴で一緒になっているのですから、凄いご縁だと思わざるを得ないのです。

 この日は馬路村温泉センターや木下課長の配慮で昼食後ひと風呂浴びて1時間ばかり転寝の時間をいただきました。2時半からはアクロスに出かけ商品開発の秘策を考えたり、山中さんという方の奥まった一軒家へ予告なしで訪問したり、また村内のあちこちを散策して歩きました。特に山中さんは器用な人で、「器用貧乏村宝隣のアホに使われる」ということばそのままな、木下課長の敬愛するおじさんに出会いに行きました、丁度夕食時と重なりましたが、中山さんが手掛けた竹篭や木工手作り品は玄人はだしで素晴らしいの一言に尽きる仙人(そまびと)でした。木下課長さんとも話したのですが中山さんの作品を一堂に集めて個展でもしたらどうだろうと提案をさせていただきました。是非実現して村民を主役にする行政をやって欲しいと思いました。

(森林鉄道時代の客車は道沿いで倉庫として第二の役割を果たしていました。まるで猫バスのようなロマンチックでミステリアスな雰囲気でした)

(村長室を訪ねたのは今回が2度目ですが、気さくな人柄は何ともいえない味のある庶民派村長さんです。それでいてモナカバックを持って歩く姿はロマンスグレーも手伝って中々ダンディな人です)
(研修会に参加した若手を中心にした参加者、数はそんなに多くはありませんが、これでも全職員の3分の1くらいは集まった計算になります。つまり300人の市役所だと100人という計算になります。前の女性は県庁から派遣されてまちづくりのサポートをしている方です。夜間だというのに熱心に付き合ってくれました)

 夜はきっかり午後6時から馬路村温泉の集会室をお借りして始めました。この研修会はワンコイン講演会と称して500円のコインが入場料です。役場職員を対象にしての自主的な研修課員は沢山の人が来ていました。特に役場の将来を背負う若手が沢山来て出向して来ている県職員も2名参加され、何よりも驚いたのは村長自らが自主的に参加して、私や参加者からの質問と受け答えに熱心に耳を傾けておられたことです。嬉しい出来事です。今日は午前中村長室に村長さんを表敬訪問していましたので余計恐縮してしまいました。私が1時間話し質問に答える形で1時間話を繋ぎました。まさに村でないと、あるいは村でしか出来ないほのぼのとしたワンコイン研修会は、皿鉢料理を囲んでの懇親会にまで受け継がれ、後ろ髪を引かれる思いで、どしゃ降り雨の狭い一本道をハラハラドキドキしながら通って高速道路に乗り家路へと急ぎました。帰宅は午前一時30分でした。

(ズラリ並んだ皿鉢料理、味は抜群でした)

(安田川の天然鮎、美味しかったです)

 押しし伊料に後ろ髪引かれる思いで馬路村温泉を後にしました。

  「石一個 動かす度に 酒を飲む 高知の人は 酒で仕事を」

??? 「太平洋 アバウト気質 育てます 龍馬の思い 自分ダブらせ」

  「酒が好き 仕事も人も 全て好き 高知賢人 俺も見習う」

  「ふと思う 去年この頃 西土佐訪ね あの人元気 おわしますやら」


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shin-1さんの日記

○久しぶりの佐賀県

 1ヶ月余り前の5月31日、佐賀県嬉野温泉に行って間もない7月5日、再び佐賀県を訪ねました。佐賀県といえば熱気球や吉野ヶ里遺跡、有田焼など小さな県ながらはなわさんやがばいばあちゃんでそれなりの情報発信をしている県です。同じ九州でも東国原知事が暴れている宮崎県に比べると地味な感じもしますが、それでも一度は訪ねたい県なのです。観光はどちらかといえば吉野ヶ里や有田などに足が向くもので、県庁所在地の佐賀市には残念ながらいい情報が入らないのも事実で、今までは素通りの中心地だったように思います。

 博多からだと特急で僅かな時間で来れるので、時間的な余裕があったので私は思いきって次の肥前山口まで足を伸ばしました。何年か前関口智広さんが北海道から旅した「列島1万2千キロの旅」の終着駅が肥前山口だったのです。その時はサンポート高松駅、大豊駅とともに日本一海に近いわが町の下灘駅も登場し、私と関口さんのコラボレーションをやりました。佐賀駅と肥前鹿島駅の間にある駅ですが、とりたてて特徴があるような駅ではありませんでしたが、縁とは不思議なもので肥前山口の存在が頭から離れなかった、ただそれだけのことなのですが、わざわざ切符を買って佐賀ー肥前山口を往復してしまいました。


 佐賀駅に降り立ちましたが、佐賀は高校生のスポーツの祭典高校総体を間近に控え歓迎ののぼりがはためき、歩道の花々も綺麗に咲きそろい、美しく着飾っているようにも見えました。

 講演は午後からなので駅構内の観光案内所で市内観光マップをもらい、会場となる佐賀神社までゆっくりと散策しながら歩きました。シンボルロードを歩くこと20分余りで面白い堀川沿いに出ました。松原川というのだそうですが、佐賀神社の裏手まで通じる堀川は綺麗に整備されて興味をそそる仕掛けが随所にありました。

 河童がテーマなのでしょうか川のあちこちには河童の置物が幾つもあってその表情がとてもユーモラスで思わず笑ってしまいました

(石組みの見事さや小さな橋ながら沢山の橋はそれぞれ特長があって中々凝った造りでした。

(この河童は触ると水が出るような仕掛けになっていてアッと驚きました)

(河童は子どもや父や母などの像で、河童伝説風らしくお皿に説明が書いているのお洒落ですね)

 この通りにかかった小さな太鼓橋を渡ると佐賀神社の裏手に出ましたが、この神社は格式が高そうで幾つもの神社が同じ境内にある珍しいものでした。この季節は夏越しのための輪くぐりが茅を使って作られており、私も輪をくぐってお参りしました。

 境内には大隈重信はじめ佐賀県出身の歴史上の人物の顕彰碑や幕末鍋島藩が鋳造した大砲砲台が展示してあり、幕末から明治維新にかけた動乱の様子を垣間見ることが出来ました。

(小説で読んだことや聞いたことはありましたが、司馬遼太郎の小説「峠」に出てくるアームストロング砲ははじめて実物を見ました)

(佐賀県庁

(佐賀県庁前周辺の堀)
 佐賀県庁付近の堀や旧跡など佐賀城公園を散策ししましたが時間がなくなり佐賀城跡までは行くことが出来ず残念ながら引き返しました。

 佐賀神社の境内にある会館が会場なので早々と会場入りし、県観光連盟主催のマナーアップ研修会に望みました。参加者は約100人弱でしたが、参加者の皆さんは熱心に聞いていただきました。

 今回の旅で見つけたものに葉隠れの教えがありました。私にとっては葉隠れの思想は私設公民館煙会所の名前の由来ですので特に興味を持ちました。(煙会所は次郎物語を書いた下村湖人の煙仲間という本に由来しています。葉隠れの当時煙は最高の情報伝達手段、つまり狼煙として利用されていました。煙を見て来るもよし去る人追わずはまさに煙会所の塾是なのです。会館のロビーには大きな年輪を刻んだ輪切りの大木に文字が掘り込んでありました。

   葉隠四誓願

 一、武士道ニ於イテオクレオ取リ申スマジキ事

 二、主君ノ御用ニ立ツベキ事

 三、親ニ孝行仕サルベキ事

 四、大慈悲ヲ起シ人ノ為ニナルベキ事


  「何気なく 通る堀川 河童住み 思わず触れて 驚きの水」

  「飛道具 これで外国 打ち負かす 真剣議論 鎖国の幼稚」 

  「葉隠れの 四誓願は 今もなお 使えるものと 思えば使え」

  「佐賀有田 思う私は 古いかも 今はがばいの ばーちゃんですよ」


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