shin-1さんの日記

○お百姓さんの嘆き

 日陰に入ると冷たく感じるのですが、戸外へ出るとさすがに日差しが強く今日は大層汗をかきました。というのも明日からツリーハウスの仕事が始まるので周辺の草を買って欲しいと大工で仲間の日浅棟梁から電話が架かってきました。今日は午前中親戚の初孫初節句に招かれていたので、午後から思い切って人間牧場へ行って草刈を行いました。初節句に出席するためにカジュアルとはいいながらまあまあな服装をしていたものですから、水平線の家に置いてある仕事着を探したのですが残念ながら見つからず、少し厚めの服を着たものですからガンガン汗が出て大変難儀をしました。それでも最近はポンコツで廃品間近な草刈機がここにきてえらい調子がいいので仕事がはかどりました。小さいタンクながら混合油を入れるとかなりの時間持ちますが、こちらの体が持たなくなってきます。それでも胸元まで伸びた草をしっかりと刈りました。特にコンクリート舗装している道路沿いは丹念に刈り付け、見違えるようにきれいになりました。

 今年は数日前野いちごの白い花が満開でしたが、もう大豆ほどの青い実をつけているので、収穫を味わうために残して草を刈りました。また去年までやたらと生えていたいちぢく風の雑木はすっかり姿を消していて、草の力に押さえ込まれた感じがしました。つわぶきや山フキもできるだけ残して刈ったので、何だか虎刈りのような格好になってしまいました。明日は草刈機の三枚刃がかなりちびてきたので、思い切って新しいのを買いたいと思っています。ついでに混合油も購入しなければなりません。

 先日草を引いたり削ったりしたじゃがいも畑のジャガイモの芽も順調に伸びて雨の前にふった肥料が少しずつ効いてきたような感じがして頼もしい限りです。

 草を刈っていると直ぐ下のお百姓さんが家を見せてくれと上がってきました。丁度きりだったので休憩がてら水平線の家の木陰に二人が座って世間話に花が咲きました。彼は私より2級下ですが、数年前に脳腫瘍を患い、一時はかなり苦労をしていましたが、今はすっかり回復し好きなお酒も飲めるようになったとか、それでも病気が病気だけにかなり心配しているようでした。彼の話では農業もかなり厳しいそうで、油の高騰で双美町でも0パーセントくらいの栽培面積が減ったそうです。この集落も高齢化したこと、少子化で子どもがいなくなったこと、農業者年金を止めて一時金を貰う人が多くなったこと、この集落の将来も農業もこのままでは潰れること、死んだ親父さんの代は戦争という悲劇はあったが晩年は後継者もいて一番幸せだったかもしれないなど、積もる話をしました。

 お百姓さんが帰ったので再び草刈を始め、夕方5時半になったのでエンジンを止め今日の作業を終えました。お百姓さんの不透明なそして不安な話が頭から離れないまま下山しましたが、私たちの年代は高校を卒業するとみんな家業の農業を継いで一生懸命働きづめに働いてきました。ふと立ち止まったとき「俺は何のために生まれてきたのだろう」と思う話は見につまされましたし。、今度その話を肴に酒でも飲みながら話そうというと、「必ず呼んでくれ」といって別れた彼は、晩酌のビールを飲みながら今日は何を考えて床に就いたのでしょう。俺も12時が来るのでそろそろ寝るとするか。

  「太陽を 相手に仕事 楽しかろ 聞くとあんたが 羨ましいと」

  「三日前 刈った草丈 十センチ 俺は近頃 少し縮んだ」

  「イノシシが 来るかも知れない 芋畑 そろそろ悔しい 準備をせねば」

  「立小便 海に向かって 気持ちよく 下でおばさん 上を見たよな」


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shin-1さんの日記

○走る広告塔

 都会に行けばビルというビルの屋上には必ずといってよい程大きな広告塔があり、電車の窓から何気なくその広告塔を見るの面白いものです。広告塔は時代の最先端と言われるようにロゴや会社名を端的に分りやすく表現しています。多分一瞬のインパクトとその残像が勝負だからでしょう。ひと頃会社のロゴマークが流行った時代がありましたがそれも終息し、今も様々な商品名が生まれては消えています。

 最近「走る広告塔」なる広告手法が注目を集めています。地方都市の松山市でさえバスの側面や後方に絵柄が飛び出るような写真がプリントされて、「何故こんなに見えるのだろう」と一瞬通り過ぎるバスの行方をを目で追ったりすることがあります。一昨日も飛行好きの孫を幼稚園へ連れて行く途中、バスの側面に飛行機の写真をプリントしたバスが横を平行して走っており「おじいちゃん飛行機、飛行機と興奮気味に騒ぐのです。それからが大変です。やれ窓を開けろとか、もう少しゆっくり走ってとか注文が相次ぎました。そして「おじいちゃん飛行機が何でバスと一緒に走っているの」と質問します。「何で」といわれるから「あれは飛行機に乗ってくださいとバスに飛行機の写真を貼って宣伝しているのよ」というと納得してくれましたが、バスも本当にカラフルになりました。あの宣伝効果は広告費に比べてどのくらいと試算しているのでしょうか。

 あのお堅いJRでさえ、車体の側面にアンパンマンの絵柄を書いた特急が四国を駆け抜けています。あのアンパンマンは漫画家やなせたかしさんの原作で、高知県香北町にはアンパンマンミュージアムまであります。子どもを人質にとれば親は必ずついてくる商法は大きな成果を挙げているようですが、そのことに気をよくしてパンや巻き寿司にもアンパンマンが登場しています。世の中には漫画の世界で正義の味方が多いのですが、一際特異な存在がアンパンマンです。子どもが好きそうなパンやケーキをモチーフにしたキャラクターが次々に登場し、見たいより食べたい雰囲気です。孫が朝パンを食べていると「おじいちゃん、アンパンマンの体の中は何か知ってる」と唐突に言うのです。私は「つぶあん」といったら「何で」と聞き返されました。丁度食べていたパンがつぶあんだったからです。孫曰く「おじいちゃん、アンパンマンの体の中にはジャムが入っているの。だってジャムは赤いでしょう」です。孫はジャムの赤色と体の血の赤色をダブらせたのでしょう。私の一本負け、座布団を2枚取られました。

 原作者のやなせたかしさんは「つぶあんではありますが、偶然にできたものなので、成分や詳しい内容は作ったジャムおじさんでないと知りません」そうです。過去にはカレーあん、クリームあん、栗きんとんあんに変身したこともあるそうです。最近ではパンの生地も小麦粉ばかりでなくアンパンマンの変身ぶりは、テレビで見ている孫の方が随分詳しいようです。

 私も実は「走る広告塔」ならぬ「動く広告塔」の異名を頂いています。日本全国を動き回り自分の町や夕日を売りまくってきました。私の持論は「どんな立派な看板を街の入り口に造っても来ない人には見えないし分らない」です。それなら看板をしょって動いちゃえが私のモットーでした。今私の周りには残念ながらそんな活気ある公務員は残念ながら見るべきもありません。

  「広告が 走る動くの 現代は 人間だって 立派な広告」

  「飛行機は 空を飛ぶもの 孫何故と これもヒントだ 人が犬噛む」

  「アンパンマン 書いた列車が 走るけど 無造作つなぐ 味も素っ気も」

  「広告の 費用効果は いかばかり 結局儲けは 誰の懐」


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shin-1さんの日記

○激安・特価・そして半額

 今朝の新聞折込にお酒の広告が2枚入っていました。一枚はかつて隣の町だった隣の市、もう一枚は隣の市だった同じ市のものです。「えっ、隣の町だった隣の市だって?」。はいそうです。長浜町は隣の町でしたが今は隣の大洲市なのです。また「隣の市だった同じ市」とは伊予市のことなのです。わが町を基点に考えれば一年前まで大洲市はかなり遠い、行くのに40分もかかる街でした。勿論大洲市の中心市街地へ行くのには今も昔も変わらないのですが、大洲市という入り口の看板はわが町の隣、すなわち大洲と合併した旧長浜町に建って隣町になったのです。一方わが双海町は今やこれまた合併によって伊予市の市内になったのです。そのためチラシ広告の世界でも異変が起こり私の住んでいる田舎町でも商圏が拡大したような錯覚に陥ったのか、伊予市と大洲市のチラシが連日のように入るようになってきました。

 今朝のお酒の広告を見て目に付いたのは「激安・特価・半額」という文字でした。特に一枚はチラシの周りを「激安・特価・半額」という文字ばかりで囲って、酒の好きな人への関心を引かせています。例えばビールですが、ビールには定価なるものがあるはずなのですが、価格破壊が起こってまるで二重価格があるかのようです。かつてナショナル電化製品の二重価格が問題になったように、これは問題にすべき事柄のような気もしますが、何故にこのようなことが起こるのでしょう。「ネタ明かしは簡単で当店では『現金仕入れ』だから他の店より安くなるのです」と店長は胸を張るのですが、今のようにアルミ缶を見ただけでは普通のビールも発泡酒も見分けがつき難い私たち世代にはそのからくりはさっぱり分らないのです。

 私は車に乗れますので安い店を探そうと思えば消費者の権利ですから幾らでも探せます。しかし車にも乗れないお年寄りにとってお酒は地元の酒屋以外の選択の余地は殆どないのです。チラシを見ながら、「地元の酒屋は何でこんなに高いのか」と疑わざるを得ないのです。困っているのは地元の酒屋さんです。近隣に安売りのリカーショップなどが出来て、今では注文配達までしてくれるというのですから、客足は自然に遠のきます。もっときついのは「お前とこの店は田舎なのに何でそんなに高いんぞ」と言われることです。「何で」と言った人は「田舎は安い。都会は高い」という根強い認識のずれがあるのです。お酒を飲まない私にすれば、そんな言い争いは「他岸の火事」に等しいのですが、それでも田舎の店の苦しさを思うと何とかならないものかと心配をするのです。

 原価が幾らなのか分らないし明かそうともせずに「激安・特価・半額」といわれても「安い」と判断するほど世の中は甘くはありません。でも「激安・特価・半額」の言葉の魔術にひっかかる消費者が多いことも事実でしょう。「誇大広告」ともとれるこの商戦、果たして成功するのでしょうか。チラシの新聞折込には一枚○○円の折込代が要るのです。まさか折込代まで「激安・特価・半額」ではないでしょうね。

  「激安や 特価半額 ちらリズム そんなに高けりゃ 飲む量減せば」

  「このビール 何でそんなに 安いのか 広告商品 本当にビール?」

  「飲む人に 聞いたが味は 分らない だったら安い 発泡お勧め」

  「酒飲みの 人の名前に 安がつく そういう人も 昔あったか」


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