shin-1さんの日記

○人間牧場を訪ねたい

 私に対して最近とみに多くなったのは「人間牧場を訪ねたいのですが」という言葉です。口頭で言う人もいますが圧倒的に多いのはメールや手紙です。それもそのはず私がブログに「人間牧場」というテーマで記事を書き、雑誌や新聞に「人間牧場」の記事が頻繁に載るからでしょう。その都度私は「まだ完成していないので」と答えるのですが、待ち遠しくて仕方がない方々は私の都合は二の次でどんどんどんどんやって来るのです。一番足繁く通っている人はもう10回以上の頻度ですから驚きます。その都度あの狭い山道やなれない山道への不安に対応するため国道まで迎えに行くのです。でもそんな不安というトンネルを、いや一番先に狭い本当のトンネル抜けるものですから、人間牧場へ上がった時の落差にみんな驚きの声を上げるのです。でも歓迎しようすまいがやって来る仲間の存在は私自身本当に嬉しいのです。そのために造った施設ですのでこれからも日本中のお邪魔虫が沢山やって来ることでしょう。その人たちの心に少しでも温かい希望の灯を点せたらこれ以上の幸せはないのです。

 そんなお邪魔虫の一人に門田眞一さんがいます。これまでは伊予市と双海町という街の違いから疎遠になっていましたが、合併することが決まり同じ伊予市民になることが分ってからは何かと気が合い、今では何でも話し合える気心の知れた、ひょっとして現在の自分の最もいい友人の一人ではないかと思ったりしています。彼は若いが優秀です。私より随分若いのに様々な修羅場を越えていますし、活動も幅が広い人間です。喋れるし書けるし、実践が出来るまちづくり人に必要な条件を全て満たしています。私たちまちづくり人がこの世の中に生きていく上で必要な冒険心と謙虚さを併せ持った今時珍しい男なのです。

 余り褒めると私のブログの愛読者なので「ブログを意識したな」と逆に感ぐられそうなのでこの辺で止めますが、合併して一番の収穫は同じ市民にこういう人がいて、こういう人と活動ができる喜びです。相手は堂思っているか分りませんが多分生涯の友人となることでしょう。

 門田さんは先日道に迷いながら奥さんを連れて人間牧場へ足を運んだそうです。あいにく私が留守でお相手できませんでしたし、カギがかかっていたので窓越しで中を見せることは出来ませんでしたが、いい日和に是非お越しいただきたいものです。

 「春に二日の日和なし」と言われるように、このところ良く雨が降ります。私の忙しさと合わさって、ペンキを塗ってからまだ一度も人間牧場へは足が向きません。息子は五右衛門風呂の電球をせっせとインターネットで買い集め、明日は電気屋さんがやって来て電気工事をするそうです。いよいよ春本番、「人間牧場」にも忙しい季節が訪れつつある今日この頃です。

  「お邪魔虫 春の足音 増えてくる 飲めぬ酒だが 用意しなくちゃ」

  「去年まで 雑草草刈 ヨモギの葉 今年は大事な 食料品に」

  「何時の間に 油屋社長 俺の友 お互い油を 売りつつ生きる」

  「合併は 悪いことだけ 思ったが 人と交わり いい人儲け」 


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shin-1さんの日記

○解纜の季節

 「解纜」と書いたこの文字は何と読むかご存知ですか。はいこれは「かいらん」と読みます。ではその「意味は」と尋ねられると答える人は読める人よりもぐっと減って殆ど分らないのです。国語は大好きな私でもこの言葉の意味は水産高校へ行っていなかったら分らなかったかも知れません。ちなみにこの文字をブログに書きこもうと試みましたが、解は出ても纜は「らん」という読み方では出てこないのです。

 この文字を習ったのは高校3年生の時の秋田忠俊という先生からでした。間もなく愛媛丸という実習船で遠洋航海に出発するという頃、この言葉を習いこの言葉の意味を知りました。もう45年も前の話です。先生は自分の恋人にこの言葉を書いた手紙を送るよう勧めました。今の高校生のように携帯やEメールのなかった時代ですから高校3年生の私たちにとって手紙はとりわけ大切な告白手段でしたが、恋人のいない私は数人の中学時代の女子同級生にこの文字を書いてハガキを出しました。どういう訳か数打った鉄砲の弾が一人の女性に受け止められ、返信の便りが下宿に届いたのです。その時の便りは今でも覚えていますが、「間もなく私は練習船愛媛丸で珊瑚海へと解纜します。正月は赤道直下で迎えるでしょう。帰ったらマグロやサメと格闘した楽しい話や南十字星の話をたっぷり話します」なんてかっこいい話を書きました。

 解纜は出航、船出、つまり纜は「ともづな」という意味なのです。

 私たちの船は基地となっていた神奈川県三浦三崎漁港を出航して珊瑚海へただひたすら南下を続けました。ニューヘブリデスエスピリッツサント島というイギリス領の島に寄港したり、過酷な延縄漁にも耐えて3ヶ月半ぶりに解纜の港へ寄港、纜を再び結んだのでした。

 解纜という言葉を書いた手紙で心を開いたその女性とは何回かの文通を繰り返しましたが、時の流れの中で忘れ去り先日同級会で思いもかけずその女性と会い、その話が彼女の口から話されました。彼女の話によると、解纜という文字は何と読んでよいか辞書を引いてもさっぱり分らなかったそうですが、恩師に尋ねてその意味を知ったそうです。その時は「格好いい言葉だ」と思いあなたに憧れました」と言うのです。「今だから告白するけど」という注釈をいただいはその女性も、数年前ご主人をガンでなくされ苦労をしましたと話されました。

 61年間生きてきて、高校生の時のあの一瞬に教師から習った解纜という言葉をこれまた一瞬思い出しました。その言葉の手紙を書いた青春時代の思い出は、私にとっても私に便りをくれたその人にとっても、もう遠い彼方の思い出です。ブログに紹介するほどのことではありませんが、ひょっとしたらあの手紙のやり取りはラブレターだったのかもしれないとひとりニンマリして書いていたら、横で妻が「お父さん、一人で何ニヤニヤしているの」と声を掛けられ、ハッとわれに帰りました。「うーん、いい夢見てたのになあ」

 春は解纜の季節、人生の船出をした人も多いのではないかと思います。

  「解纜の 訳も分からず 文を出す 届いた返事 昔懐かし」

  「俺だって レターくらいは 来たもんだ もてない男 今頃強気」

  「ニヤニヤと しながら昔 思い出す 妻の一言 夢を砕いて」

  「久しぶり 会ったその人 今だから 言われて顔を 赤くしながら」

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