shin-1さんの日記

投稿者: | 2009年4月2日

○異動の時期は人生いろいろです

 異動や旅立ちの季節になって、人の動きが活発になってきました。特に異動は陰に隠れた誰かが隠密裏に異動される人の話や心など殆ど無視してやるものですから、蓋を開けてみて驚いた様子がよく伝わってくるのです。自分の意に反して左遷異動させられた人、働きが評価に値すると自分が確信するような昇進異動の人などなど様々です。私も一時期異動の原案を作る作業にかかわったことがありますが、私事を挟むまいと思うけどそこは機械でもない人間のすることゆえ、どこかに温情や気追いが入るのです。しかし異動というのはその人の人生をも決める大切な出来事なので考えた異動をさせねば一生に禍根を残す結果になるのです。

 私も町役場に勤めたいた関係上春の異動のころになると何かと心が動きました。教育委員会・産業課・企画調整室・地域振興課と現職では3回しか異動の辞令はいただかない、比較的異動には縁の少ない人間でしたが、教育委員会から産業課に異動した一度だけ、町名変更の責任を取って左遷と誰もが認める異動をしました。しかし恩人から届いた一枚の色紙に「ぼうふらも 人を刺すよな蚊になるまでは 泥水すすり浮き沈み」と書かれていて、自分の心の狭さを痛感して直ぐにギアチェンジ、その後まちづくりという大きな仕事をいただき、人生の積み木を壊さず積み上げてこれたのです。

 異動の中には満期で定年を迎えた人もいれば、早めに退職して新しい道を模索する人もいます。昨日一人の中年男性がアポも取らず私を訪ねて来ました。この人は昔Sという印刷会社に勤めていました。観光の仕事が中心でしたがイベントのポスターやチラシ、テレフォンカードなどの印刷に深くかかわってくれていましたが、ノルマ至上主義のこの仕事に限界を感じ、農業の道に入りたいと相談がありました。「儲けなくてもいい農業は楽しいが、飯を食う農業は厳しい。その厳しさに耐えられる意思があるかどうかだ」と諭したつもりでしたが、彼は40代後半で農業に転身したのです。その後2~3回会った記憶がありましたが、最近は音信普通でした。

 久しぶりに会った彼は太陽の恵みなのか、顔は農作業に適した赤銅色になってすっかり逞しくなっていました。奥さんが学校の先生をしているので経済的に助かった話、手助けしてくれたお母さんが81歳になり自損事故を起こしたため車の免許を返上した話、息子が身障者で手がいる話、細々ながらやっと農業で飯が食えるようになった話など、咳を切ったように話す言葉一つ一つに苦悩の人生を垣間見る思いでした。

 彼は自分の作った自慢のポンカンを一箱持参してくれました。「自分の心が揺れ動いていた頃、双海町の役場で営業の折、コーヒーをいただきながら人生について色々語ってもらったことが励みになった」とウルウルするような話を聞きながら、甘んじてポンカンをいただきましたが、そのポンカンは飛びきり上等な味でした。

 年齢的は早くも55歳になったと言っていましたが、彼は先見の目があったのか今は厳しい印刷業界に早々と見切りをつけこの歳を迎えています。最後の再チャレンジが55歳とよくいわれますが、早めに再チャレンジした彼の行動は称えるべきだと思いました。彼は今まで「一人前になるまで若松さんには会わない」と心に決めていたそうです。何年か前段階3の上という大腸ガンにかかり大病を克服したようでした。数日前師匠と仰ぐみかんの指導者に自分の園地を見てもらい及第点を付けてもらったことや、病院の定期診断でガン克服の良い結果が出たことを契機にして私に会おうと決意したようでした。

 人はそれぞれの想いでそれぞれの道を歩みます。それを左遷と思うか栄転と思うか、また転職を終焉と思うか最初っぱつと思うかはこれまた人それぞれです。彼のような生き方は目立たないけれど凄い立派な生き方だと思いました。近々奥さんを連れて人間牧場へ来たいと笑顔で去る彼に大きな拍手を送ってやりました。


  「そういえば そんな話を したっけな 逞しなりて われを訪ねる」

  「栄転も 左遷も心 がけ次第 新た生き方 つかんで生きる」

  「役職は 定年なれば くそくらえ みんな同じだ 何が残るか」

  「十年も 音信不通の 人が来る ポンカン提げて 嬉じゃないか」