shin-1さんの日記

投稿者: | 2008年9月21日

○東京での一夜

 昨日は新潟県南魚沼市浦佐でのフォーラムが終わって、一便早い上越新幹線浦佐発ときに乗り込みました。フォーラムもそれなりに成果を収めたようで、ホッとした気分でした。ところが東京で人身事故があったらしく、新暗線ながら鈍行列車と同じで全ての駅でノロノロ運転とない、30分以上遅れて東京駅に着きました。東京から往復同行した清水女史と積もる話をしながらの旅だったので、とてもハッピーでした。清水女史は上司だった青木さんとともに秋田でのフォーラムで知り合い、5月15日にはお二人お揃いで人間牧場を訪問していただいたし、ほくとう総研の機関紙に寄稿したりして深いつながりとなっているのです。

(上越新幹線ときの車内で私が手を差し伸べてツーショットの写真を撮らせてもらいました。

 東京駅で清水女史と別れ、私はあくる日の飛行機便のこともあって浜松町に宿舎を予約いていたので、少し夜の街を歩き、東京タワーで待ち合わせていた政府のお役人と落ち合いました。久しぶりの出会いでしたが国のお役人も何かと忙しそうで、昔であれば中央の流れを聞き出そうと懸命にこちらが知恵を絞ったものですが、今はむしろ政府のお役人が、生き生きと輝いて生きている私たちのような地方人を見て羨ましいらしく聞き入り、地方の動きに関心があるようでした。

 昨夜は台風も海の彼方に去って、雨も上がり静かな夜でした。暗闇に東京の象徴である赤い東京タワーが浮かび上がり、ひと際美しく見えました。高層ビルが立ち並ぶ東京では次々と話題のビルディングが建ち、東京タワーは落ち目かと思いきや、昨晩はたくさんお若者や外国人が夜景お楽しもうと集まってかなり混雑していて、東京タワーに上り夜景を楽しむ目論見も、若者に交じって並ぶ勇気もなくもろくも崩れ、下から見上げる近所のガーデンに席を取って二人で話しこみました。彼はビールを大ジョッキで4杯も飲み干しましたが、呑むほどに饒舌となって、呑めない私は押され気味でした。彼とは九州博多の研修会で知り合い、これまでにも彼を通じて、東洋の人脈を広げてきました。

 彼以外にも「東京に来たら是非」とよく言われるのですが、「上客は来ず、中客は日帰り、下客は三日泊まり」といわれるように、嫌われてもと思い、私はその人脈に余り会うことをせず、東京は旅の通過点として上客に甘んじているのです。

 ホテルへ帰ると11時を過ぎていました。風呂で汗を流し木になるカバンからハガキを取り出し、この日のノルマである3枚のハガキをしたためました。20年余りもやっているハガキ3枚を毎日書く習慣は、私の凡事徹底なのです。相変わらずのまずい字も気にせず、その人のことを思って書きました。

 携帯電話に地域政策研究センターの清水研究員からメールが入っていました。彼には新幹線の車内で「明日が宮沢賢治の亡くなった日です」とメールを送っていたからです。清水女史から聞いた賢治の亡くなった日を清水研究員に伝えただけなのですが、奇遇とでもいうべき女性の清水さんと男性の清水さんの橋渡しをしました。

清水研究員は宮沢賢治に心酔している人なので、喜んでの返信でした。

 午前0時を回ったところで、「やばい」と思い東京での夢の世界へ入りました。

  「東京が 何故かだんだん 近くなる 月一程度 指折り数え」

  「タワーさえ レトロ感じる 歳になり 若者長蛇 列に入れず」

  「鉄塔を 下から見上げ 人間の 偉大な力 感心しきり」

  「東京は 部分かじりで アンチ感 奥の深さに ただ驚きて」