shin-1さんの日記

○40年ぶりの再会

 平成になって既に20年が経ち、平成生まれの若者が活躍するような時代になると、「昭和は遠くなりにけり」の感じが否めないこの頃です。しかも昭和19年生まれの私のような人間はどこか古ぼけて見られはしないかと、日頃から言動に気をつけているつもりですが、なかなか時代のギャップは埋まりそうもなく、次々と飛び出す新語や流行にアタフタしているのです。

 私の主張にとって忘れられない日が二つあります。ひとつは今から20年前の43歳の時、平成元年1月14日の出来事です。海外派遣30周年記念論文募集に応募した論文が総務庁長官賞という大臣賞をいただいたのです。東京の赤坂プリンスホテルで開かれた授賞式には皇太子殿下もご列席される予定でしたが、昭和天皇の急なご崩御によって叶いませんでしたが、青年の船で建国200年のアメリカへ行った体験を綴った「地球サイズの時代」という論文は、新聞にも掲載されて大きな反響を呼びました。

 二つ目は今から40年前の23歳の時、昭和42年11月26日の出来事です。第14回NHK青年の主張の愛媛県大会があり、原稿審査にパスした11人がNHK松山放送局で主張をしたのです。当時私は漁師をしていて、仕事に誇りを持とうと「私の訴えたいこと」と題した私の主張が県代表に選ばれたのです。当時はまだその模様はラジオ番組しかなく、次年度からテレビ放送となりました。四国大会へは私ともう一人今治の村上幸一さんが選ばれました。四国大会はテープ審査でしたが、村上幸一さんが選ばれ全国大会へ出場したのです。

 以来村上幸一さんとは年賀状程度の交流が続きましたが、そのうち私の視界から彼は言えて行きました。でも今治を訪ねる度に彼の消息が気になっていましたが、忙しさの余りに調べることもせず時は流れたのです。

 昨晩のことです。私は今治市中央公民館の山田館長さんに頼まれて、「まちづくり・けやき塾」へ講演に出かけました。講演が終わって山田館長さんが「今日は若松さんにとって珍しい人がこの会場に来られています。若松さん覚えていらっしゃいますか、村上幸一さんです」と紹介され、参加者の中の一人が起立しました。「はい覚えています。NHK青年の主張の県代表だった人です」と答えました。みんなが二人の再開に大きな拍手を送ってくれました。



(40年ぶりに再会した村上幸一さん)
(今治けやき塾)

 それにしても驚きました。40年間も会わなかった意中の人に突然に会えたのですから、嬉しさが込みあげてきました。ロビーに出て名刺を交換しました。本当はもっともっと話したかったのですが、時間も夜9時になっていて、帰りの時間が気になるし、加えて彼は受講生なので説明会もあるようなので早々にお暇をしました。

 人にはそれぞれ思い出の出来事や思い出の人がいます。あっという間に駆け抜けた自分の人生の中で、NHK青年の主張くらい私を人生の表舞台に立たせてくれる出発となった出来事はないと思うのです。当時漁業者が主張をするなんてことは滅多になかったので、私のテレビ番組が2本、ラジオ番組が5本も出来ました。その模様はダビング技術のなかった時代ですので闇に消えて残っていませんが、オープンリールのテープだけはNHKからいただき倉庫のどこかに眠っているものと記憶しています。しかしオープンリールのテープレコーダーさえもうなくなった時代なので、果たして再生が可能かどうかも疑問です。当時は私の主張を地元の成人式で記念講演的に発表したり、ちょっとだけヒーロー気分を味わいました。

 それにしても村上幸一さんに昔の面影を重ねながら車を走らせましたが、40年で人の風貌は変わるものだと思いつつ、村上幸一さんもまた、私の風貌の変化に驚いていることだると思いました。

  「覚えてる? 言われて立った 男性に 昔重ねて 記憶を辿る」

  「四十年 どこでどうして 生きてたか 姿変わりて 過ぎし日思う」

  「掲額に 僅かに残る 痕跡が つわものどもの 夢のかけらか」

  「あの頃は いう歳なった 六十路越え 下りの坂を 転ばぬように」 


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