shin-1さんの日記

○夕焼けプラットホームコンサート

 何だかんだといいながら、夕日にまつわることについては現場の第一線を離れていても相談があって、それなりに関わっていましたが、意識的に距離を保ち後方支援に回って自立・自律を促してきました。ここにきてやっと皆さんの気持ちもそれなりに高まり、そこそこでそれなりの歩みを始めていて頼もしく思っています。

 先週の土曜日、恒例の夕焼けコンサートがありました。このコンサートは早いものでもう23回目を迎えたのです。さて私は23年前、どんな思いでこのコンサートを立ち上げたのでしょう。あの当時私はまだ40歳でした。若かったせいもあって、下灘駅のプラットホームを舞台にするという奇抜なアイディアを思いつきました。しかし100のうち99人までが反対して「止めた方がいい」といいました。「落ちる・沈む・没する」というマイナスイメージを連想させる夕日など地域資源にはならないと誰もが思いました。でも夕日をテーマに無人駅のプラットホームでコンサートをしたのです。大方の予想を裏切って好天に恵まれた当日は、約千人の人で駅の構内は埋まりました。

夕日によるまちづくりの第一歩でした。以来時ならぬ台風の襲来で一度だけ中止になったことがありました。でもその他は天気に一喜一憂し雨風に翻弄されながらも着実に実績を積み重ねた 夕焼けコンサートは小林真三さんの手助けなどもあって、今日まで続いているのです。

 今では予讃線海岸周りの風物となってすっかり定着し、最初は反対していたJRも夕焼けトロッコ列車を走らせるなどの全面協力で、参加した人に感動を与えているのです。少し当日の模様をカメラで追ってみました。

この日は開会の午後5時前にあいにく夕立が少し激しく降りました。椅子に陣取っていた人たちは一斉に自転車置き場やプラットホームに雨宿りです。運営委員の人は布椅子を濡らさないようにまとめてブルーシートをかけました。やがて15分ほどで雨も上がり、西の空が赤くなり始めいよいよコンサートはスタートしました。

 雨が会場を整理したようで、いつになくきちんと席が埋まり、後のフェンスにはかなりの人が立ち見です。カメラも沢山設置され、参加者は吹き抜ける雨後の心地よい風を受けながら音楽に聞き入っていました。わが妻も孫や友人と連れ立って、楽しいおしゃべりをしながらの鑑賞です。


 孫は近くの売店でジュースやソフトクリームを買ってもらい、目や耳よりも口を動かしているようでした。私が現役の時妻は殆ど姿を見せず、家で留守番をして、コンサートの打ち上げの二次会に沢山の人を連れて帰るための、料理や飲み物を準備するのに追われていたと述懐し、「本当は私も今のようにお父さんと一緒にコンサートを見たかった」そうです。

 この日は私のお客さん、つまり私が講演などで知り合った方々や知人友人を含めると約100人もの人が集まってくれたのです。中には先日職員研修に招かれた東広島からわざわざ来てくれたり、双海町出身の石油備蓄会社の佐々木さんや太陽石油の所長さん、それに資源エネルギー環境部長さんなどが顔を揃えてくれました。何といっても嬉しかったのは先般講演に招かれた高松市三谷地区の皆さんがバス一台でやって来てくれたことです。縁とは不思議なもので感謝せずにはいられないのです。

 

 メインプロゲストのガズルが歌う頃には夕闇が迫り舞台に設えたススキも風に揺れて最高潮で、そこへスーと夕焼けトロッコ列車が入ってきました。会場から大きな拍手が起こりました。ガズルのメンバーの中には愛媛県松野町出身のアーティストもいて、これまた地元の方々が応援に駆けつけ最高に盛り上がり、アンコールの拍手に応えて「♭ギュッとして・・・・♯」を感情を込めて歌ってくれました。

 最後は恒例の下田逸郎作詞作曲である「双海恋歌」を全員で合唱して来年の再会を誓い合いました。運営委員持ち寄りの特産品やガズルのサイン色紙が当る抽選会も大盛況で、列車でやって来た人を見送る頃には頭上に綺麗なお月様が顔をのぞかせ、アーティストの歌に変わって虫の音の大合唱が始まっていました。

  「今年また 元気で聞けた コンサート 来年もまた 会おうねと」

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