shin-1さんの日記

○田舎のバス

 今日は大洲へ講演を頼まれて出かけました。余裕を持って1時間半も前に家を出たため、ゆっくりと車を走らせました。そのうち私の車の後に車が何台も並んで走るようになりました。気になって前を見ると私の前にも6~7台並んでいてその前を一台のバスが制限速度で走っていました。やがて追い越し禁止区間が解除されると私の前の車は一斉にスピードを上げてバスを追い越し、私の後の車も全て私の車とバスを追い越して行きました。よく見るとこのバスは海岸線を走る路線バスなのです。バスの後ろについて走りながらバスの中をうかがいましたが、バスの中には乗客らしい人の姿は見つけることが出来ませんでした。乗客が一人もいなくても走らさなければならないのが路線バスの宿命です。普通の人だとこの光景を見て「何と無駄なことか」と思うのですが、路線バスは各地にある停留所に乗客のいないことを確かめるように速度を落としながら走っていました。

 田舎の人、特に車の運転が出来ず交通手段を持たないお年寄りにとっては、バスや列車は唯一の交通手段なのです。そのため乗客が乗らなくて赤字だからとバス運行廃止をバス会社は提案をします。すると地元民からは唯一の交通手段をなくさないようにと行政に陳情し、行政もそれではと何がしかの予算を組んでバス会社に補助金を出し運行できるよう働きかけて、減便に減便を重ねながらもどうにか走らせているのです。

 乗客が殆どいないのにバスを走らせている光景は田舎ではよく見かけます。しかし実態と合わない部分も多く、最近では市町村が独自で周回ルートをつくり、手を挙げれば乗れる過疎バスを走らせて効果を挙げている地域もあるようです。こんな住民のためのバスは過疎地だけかと思えば、松前町のような公共交通機関が発達している地域でもバス会社と提携してバスを走らせていて、面白い試みだと感心しました。

 「♭田舎のバスはおんぼろ車 タイヤはキズだらけ~」なんて歌が昔あって面白おかしく唄ったような記憶があります。ボンネットバスが田舎の砂利道を砂塵を巻き上げて走る長閑な姿はもう昔の出来事、まさに宮崎峻の世界なのかも知れません。このままだと田舎のバスは遅かれ早かれ地方の街や村から姿を消すでしょうし、それもやむを得ない出来事として受け入れなければなりません。バス会社の赤字経営に対する苦悩と行政の財政事情による経費節減とを一気に解消する妙案は中々見つかりそうもないのです。

 先日北海道伊達市のまちづくりへの挑戦をテーマにしたビデオを、限界集落の勉強会で見ました。市町村合併によってまちづくりの方向を見失っている市町村が多い中で、伊達市は定住人口の増加を目指して地道な取り組みがされていました。また2地域居住という全く新しい発想で地域づくりをしている事例もとても参考になりました。手をこまねくだけでなく、合併して3年余りが経ったのですから、もうそろそろ新しい独自の色を出さないと、後ろ向き行政だけでは地域住民に合併のメリットを説明できないのです。

 先日、何の用もないのにバスではなかったのですが思い切って上灘から長浜まで列車に乗ってみました。列車の車窓から見える海辺の景色は子どもの頃の原風景を蘇えらせてくれました。しかしその列車の行き着いた長浜では長い時間待ちがあって、そこから先への旅は残念ながら諦め、再び折り返しの列車に乗って帰って来ました。顔見知りの人が何人か乗っていて、「久しぶりだが元気ですか」「何処へ行ったの」「何しに行ったの」と矢継ぎ早の質問です。「はい別に用はないのですが気分転換に乗ってみました」といったら、「あんたも退職したので相当暇なのですね」と呆れた言葉が帰って来ました。

 別名「病院列車」「爺婆列車」と揶揄されるだけのことはあるなあと自分自身を納得させました。折角廃線の憂目から救った予讃線海岸周りの列車ですから、そろそろ廃線?という言葉が出る前に、行政も住民もことの重大さに気付いて守る運動を始めて欲しいと、「気づかないふりをしている人たち」に物申したいと思いこの記事を書いてみました。

  「乗客の 姿も見えぬ 路線バス ノロノロ車 従え走る」

  「バス廃止 絶対反対 言うけれど 乗らぬバスなど 必要でなし」

  「存続を するため駅で コンサート 残った残った 今に残らず」

  「また一つ 田舎の不便 増えるかも 赤字経営 財政難で」

 

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