shin-1さんの日記

○いやあ、驚きました

(すっかり様変わりした高松駅前のサンポート高松)

 「若松さんではありあせんか」。小豆島へ向けて出港を待つ高松市のサンポート高松での出来事でした。いきなり50歳がらみの素敵な女性が話しかけてきたのです。「はいそうですが」と怪訝そうに対応する私に、「やっぱりそうでしたか。列車の中でそうではないかと思っていたので」と話しをつなぎ、矢継ぎ早な談話が始まりました。そしてその輪は女性のご主人と連れの外国人夫妻を巻き込んで賑やかな話に広がって、船が出港してから小豆島に到着するまで延々と続いたのです。

 八幡浜で私の講演を聞いたこと、夕日によるまちづくりやシーサイド公園を造って双海町を有名にしたこと、海岸の政争を0年余りに渡ってやったこと、植えてはいけないと渋るJRに対抗してポケットから菜の花の種を落として花を咲かせたことなどなど、驚く事に、まるで今話した話を録音テープで再生したように、その女性は私の講演内容を覚えているのです。「あっ、思い出した。私も何年か前、商工会青年部の講演会であなたの話を聞きました。あの時もその木になるカバンを持っていましたよねえ」とご主人も私の思い出の糸にたどり着いたようでした。

 ご主人は青年海外協力隊のメンバーとしてシリアで2年間過ごしたらしく、堪能な語学力で連れの外国人夫妻と、私の事を盛んに紹介しているようですが、残念ながら時々単語が分る程度で理解不能でした。女性は時折電子辞書を使いながら、話の中に輪って入り盛んに私と3人の橋渡しをしてくれました。

 聞けばこの外国人は既にリタイヤしてカナダに住みながら世界中を旅してボランティア活動をしているとのこと、外国人の奥さんは話をしている間も趣味の編み物の手を休めることなく編み続けていました。聞けばご主人の靴下も編んだそうで、その素晴らしい出来に目を見張りました。

 私は通訳してくれた女性と、同行していた外国人夫妻を引き合いに出しながら様々な話をしました。日本人と外国人の生き方の比較、団塊の世代といわれる日本人のリタイア後の生き方、ボランティアに対する考え方の違い、日本の文化に対する価値観のお粗末さなど、素晴らしい考えに圧倒されながら意見を交わしましたが、その殆どは私が日頃考えている私の考えそのものであり、深い共感を得たのです。

 私は4人に似顔絵の名刺をそれぞれ渡し、船着場で手を振ってお別れしました。何でも彼女たちは外国人の要望で、小豆島の高齢者施設を見学に行く途中のようでした。帰りの船が一緒になる事を期待したものの、私の帰りの船が一便早まり出会うことはありませんでしたが、旅先で出会った女性との出会いは私の昨日の旅をとても有意義なものにしてくれました。あいにく名刺を持ち合わせていなかった相手の女性は山本さんというとても品のある、それでいてしっかりとした考えを持っている女性でした。旅先で出会ったほんの一瞬の出来事でしたが、帰る船の中や、特急いしづちの流れては消える車窓の景色の中に彼女の顔がちらつきました。松山まで迎えに来てくれた妻にその女性の話しをしましたが、「やっぱりね」と、その女性の住んでいる所が八幡浜と説明しただけで、八幡浜出身の妻は自分とダブらせて話しをしてくれました。

 小さな町の名もなきに等しい私の話しをこうも鮮明に覚えていてくれる人は少ないと思いつつ、日々の暮しの中でこれからも話しに行くであろう講演を、ただ疎かにしてはいけないと深く肝に銘じたのです。揺り篭から墓場までといつも笑って話すように、幼児教育から高齢者まで、私に与えられるお座敷は年間百回を越えるほど沢山ありますが、私の話に共鳴したり、生きる勇気を与えてくれたと述懐してくれる度に、身の引き締まる思いがするのです。今日もこれから県立中央青年の家で愛媛県青年研究大会があり、講演を依頼されていますが、しっかりと話しをしたいと思っています。

  「若松さん? 船を待つ身の 旅先で 素敵な女性 いきなり声を」

  「肩書きが 巾を利かせる 日本人 リタイアしたら 何の役にも」

  「まだまだと 修行が足りぬ 自分恥じ 心新たに 挑戦はじめ」

  「残像が 消えては浮かぶ 汽車の窓 それ程強い インパクト受け」

  

 

この記事はカテゴリ 人間牧場 に投稿されました。この記事をブックマークするには こちらを。この記事へのコメントをフォローする場合の RSSはこちら。 コメント、トラックバックの受付は終了しました。