shin-1さんの日記

投稿者: | 2008年1月26日

○ほどほどな出会い

 私には沢山の知人友人がいます。その中には一週間に二度も三度も出会うような人もいれば、半年ぶりというような人もいます。また年賀状を出してもあて先に届かず音信不通で帰って来る気になる人もいてまちまちですが、それらを含めて63年間の人生を生きて得た知人友人だけにこれからも大切にしたいと思っています。

 2~3日前、わが家に帰って玄関の戸を開けると、何やら白いビニール袋が置かれていました。おっつけ仕事から帰った妻に聞くと、「長浜の菊池邦求さんが自分で作ったお米なので食べてください」と、わざわざ持参してくれたそうです。菊池さんとはかつて公民館主事をしていた頃、県公民館連絡協議会の主事部会で役員をやり今も肝胆相照らす中なのですが、その後の職場がお互い違ったために多少遠のいてました。私も彼もリタイアして少し自由になったこともあって、最近は電話や先日のえひめ地域づくり研究会議年次フォーラムで再開し、見事音信が復活したのです。世の中には生き方が似ている人がいるといわれていますが、菊池さんも鏡に写せば私とよく似た人生なのです。

 青年団活動を経て社会教育の世界に入ったり、公民館主事集団「煙仲間」を組織したり、いい公民館活動をやったことなどは完璧に一致です。最も彼と似ているのは「NHK青年の主張」という今では神話になった主張大会の私が第十四回県代表、確か菊池さんは第十五回の県代表だと記憶しています。菊池さんはもの書きが得意で彼の論文は全国でも高い評価を得て、私に相当な刺激を与えてくれました。その後私の論文も海外派遣30周年記念論文が総務大臣賞を受賞したりしたのも、彼の影響と思っています。リタイア後の今は民生委員などをして社会活動をしていますが、菊池さんと出会うと何時間でも話したい心境になるのです。

 もう一人、何となく気になる人がいます。松山に住む玉井恭介さんです。玉井さんは海難事故で有名になったわが母校、愛媛県立宇和島水産高等学校の先輩です。早朝ミーティングでひょんなことから知り合い、広告会社に勤めていた頃私の自著本「昇る夕日でまちづくり」や21世紀えひめニューフロンティアグループの「今やれる青春」という本の出版を手伝ってもらいました。その後リタイアしたものの、砥部町の坪内家再生や高齢者福祉などで再三再四知り合い、先輩後輩ではない人間的なお付き合いを続けているのです。玉井さんは詩や絵が堪能で、司馬遼太郎に傾注していてよくその手の手紙が届きます。コーラスなどもやる、私流にいわせると風流な人なのです。「考える村村長」「今日閑人」などの肩書きを平気で使い分ける玉井さんから昨日、長い長い電話がかかってきました。彼が今夢中になっているのは放任園のミカンだそうで、私の友人の料理人真鍋さんに頼んでミカンドレッシングを作っているそうです。まあこんな具合で楽しくも何処か気になる変なオジサンなのです。

 今日は香川県小豆島へ講演に行くため朝4時前に起床し、パソコンに向いネットを開きメールの返信をし終えて、ブログを書き始めました。さて何を書こうかと思いながら手と頭がついつい二人の顔にたどり着いたのです。

ブログに人の名前を書くのは個人情報のこともあるので慎重にと思いつつ、平気で知人友人の名前を書いてしまう悪い癖は今も健在のようで困ったものです。知人友人の皆さんお許し下さい。

 さて私は今夜の帰りが遅くなるのでもう一本ブログを書こうと心に決めて朝早起きたので、この辺で菊池さん、玉井さんの話は続編ありということで終わります。

  「あの人は どうしているか 顔思う 俺のことなど 忘れていように」

  「米届き 炊きたてご飯 卵かけ 昔馳走の 思い出語る」

  「今日閑人 何とも素敵 ペンネーム 電話の向こう 楽しお話」

  「気になりつ ついつい疎遠 なりにけり 友を訪ねし 旅に出たいね」

 



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