shin-1さんの日記

○道の駅の勉強
 前もってメールで約束していた双海町にご縁の深い大学生から昨日電話が入り、「道の駅の話しに行く予定の時間を、お約束の10時から8時に変更して欲しい」というのです。午後の会議の予定が積んでいたこともあって、願ってもない申し出と快諾しました。今朝7時50分にシ-サイド公園へ行くと既に学生たちは駐車場に着いていました。今日は朝から雨模様の天気なのでさて何処で話しをするべきか考えましたが、結局は加工場以外開いてないので加工場の隅をお借りしての話となりました。今日と明日の両日、シーサイド公園は水仙祭りで準備の人がひっきりなしに出入りする中、大学生4人に対し、雑音を気にしながら質問形式でお話をさせてもらいましたが、「愛媛大学教育学部の学生なのに何で道の駅の勉強に?」と不思議な気持ちになりつつ、約1時間の時を過ごしました。
 彼女たちの質問に答えながら、あらためて道の駅の存在を考えて見ました。道の駅には交流機能、情報機能、休憩機能という三つの機能がありますが、交流機能は随分進化して年間55万人もの人がこの道の駅に訪れるようになりました。観光客ゼロに近いようなスタートでしたから驚くほどの成果です。しかもこの道の駅は第三セクターで運営したいますが、過去13年間一度も赤字にならず五%の配当を続けているのですから、投資効果は目論見以上の善戦と言えるでしょう。でも近隣に真新しい道の駅や類似施設が随分出来て、客層が変わりかなり苦戦していることも事実のようです。運営に携わる人たちに聞くと「それは消費者のせい、社会のせいだ」と一種の諦めを持っているようですが、私の目から見ると、そこに関わる人の「想いの欠如」以外の何ものでもないのです。
 例えば年末年始に大風が吹いて、シーサイド公園の人工砂浜はたくさんの漂流ゴミの洗礼を受けました。12年間毎日掃除を欠かさなかった私の目から見るとその掃除の大変さは身に染みるほどよく分ります。しかし、突風が吹き荒れた後の3日間くらい砂浜の掃除はほったらかしになっていました。見かねた私は人知れず少しの掃除の真似事をして支援しましたが、「シーサイド公園の砂浜はいつ来ても綺麗に掃除が出来ている」という神話が崩れているのです。これはもうオンリーワンの箒ならぬ放棄なのです。
 また最近は第三セクターといえども指定管理者制度の導入で競争の原理と個性を持った運営原理が働かないと区別化や差別化が出来ないのに、職員の対応などはまだまだ未熟なままなのです。何年か前私の退職時に指定管理者制度が導入された折、ある企業からこの道の駅の運営の指定管理者制度に名乗りを上げたいので、私に責任者になって運営して欲しい」旨の依頼がありました。行きがかり上それはできないと丁重にお断りをしましたが、もし私がこの道の駅運営の企画書を作らせて貰うのであれば、13年の時の流れの中で変わった部分、変えなければならない部分をしっかりと点検改革しなければ、10年後は危ないと思うのです。これらは全て「想い」という人間が創り上げてゆく形のないものなのです。
 学生たちに失敗や反対の連続だった「想い」の過去を話しましたが、学生たちは目を白黒させながら熱心にメモを取っていました。加工場で働く漁協女性部の富岡さんが学生さんにコーヒーを、コーヒーの飲めない私に紅茶を振舞ってくれました。また学生さんには今人気の熱々ラブラブじゃこ天をプレゼントしてくれました。このおばちゃんから学ぶのは「本物と真心」なのです。縁もゆかりもない学生たちに心のこもったもてなしをする真心も、味を落さない本物追求の技も全て商品なのです。さらにここで働くおばちゃんたちはジャコ天一座を組んで特老などに慰問などに行ったり海の恵みに感謝して山に木を植える運動に取り組んだり、この地域循環こそが村おこしやまちづくりなのです。
 学生たちは感心し、次の目的地である内子の道の駅に向いました。学生たちは良く勉強しますねえ。感心しました。
  「近頃は 若者沢山 やって来て 地域づくりに 興味津々」
  「目に見えぬ それが一番 大事だと 伝えたかった 見て欲しかった」
  「道の駅 巡る社会は 変化する 変えてはならぬ ものも沢山」
  「縁もなし ゆかりもないに お茶を出す こんな温もり 金では買えぬ」

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