shin-1さんの日記

投稿者: | 2008年1月8日

○頭を空っぽにする 
 「一年中使った頭を空っぽにしたい」。そんな気持ちで昨日は人間牧場へ出かけました。暖かい四国といいながら初春の冷え切った風が頬に当ると体がしゃんとして背筋が伸びるような感じがしました。水平線の家、ロケ風呂、ツリーハウスのカギを相次いで開け、窓を一杯開けて今年最初の新しい風を入れました。薪小屋から薪を取り出し、患っている腰を気遣い少し軽めの薪をキャリーに入れてストーブの前に運びました。急な坂道は年末年始の時化でそこら辺に積もっていた枯葉も何処かへ吹っ飛んで、まるで掃除をしたように綺麗くなっていました。 炊きつけにする杉葉を拾い集めストーブの焚き口を開けて入れ、ナタで子割をして積み上げ、チャッカマンで火をつけると、火の勢いが次第に増して、ストーブの耐火ガラスから真赤な炎が見えるようになりました。年末に吹き込んだ風で入った土間のゴミを長い柄箒で掃除し、ひとまずストーブの前に背もたれ椅子を置き、開けていた外窓を全て閉じ、棚から何冊かの読みたい本を取り出して背もたれの横に置きました。
 昨日は何をしようというのでもなく、「頭を空っぽにするため」だけにやって来たので、背もたれを深く倒して体を沈めました。やがてストーブの温もりが部屋の空気を柔らかくし始め、体にほのかな温もりが伝わってきました。窓越しに見える空も海も穏やかで、冬とは思えぬ静けさです。遠くでは野鳥の鳴き声が聞こえ、どこかでみかん摘みをしている人の声やチエンソーの音も小耳に聞こえてきます。
 さてこのくらいのことで人間の頭は空っぽになるのだろうかと自問するのですが、むしろこんな暇を作ると人間はろくでもない事を考えるものです。昨年も正月休みに同じような事を考えるため同じような事をしていました。その結果生まれたのが杉の木の切り株の上での落伍でした。友人の清水さんや松本さん、それに国土交通省の小野さんとの画策でそのアイディアは昨年思わぬ方向に発展したのです。 できっこないとは思いませんでしたが、昨年のこの段階では完全に夢でしかなかったのです。でも出来たのです。これが私のいう「進化論」だと気付きました。
 今年も頭を空っぽにしようとしたお陰か、少しひらめいた夢を見ました。横に置いたメモにその夢を書いて見ました。まだ夢の段階ですが、少し整理をして取り組んでみようと思っています。頭を空っぽにしたお陰で夢の席が確保できたような気もしました。心に浮かんだ発想を「そんなの出来るわけがない」と否定して封印してしまうと、そこから先へは進めないものです。昨日人間牧場で背もたれにもたれれて考えた全ての空想が実現し大きな成果に結びつく訳でもないのですが、空想をすることだって実に楽しいと思いました。
 毎年たった1年365日の1日だけの頭を空っぽにする行動が、夕日をテーマにまちづくりを生む結果となったり、昨年の夢が落伍にもなり「夕やけ徒然草」の出版となりました。夢は見るものです。
  「何事も 夢から始まる つれづれと 頭空っぽ 席を譲りて」
  「杉葉燃ゆ 次は小枝に 燃え移り 次第に火の手 大きくなりて」
  「山里に 来る人ありて 煙突に 煙たなびく 何する人ぞ」
  「無無無無無 無無無無無無無の 無無無無無 無無無無無無無 無無無無無無無」 

 

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