shin-1さんの日記

○2、父親の言葉

 私の父親は何処にでもありふれたごく普通の人間です。学歴があるでもなく、特に功なし名を上げた訳でもなく、太平洋戦争を挟んだ90年の時代をただ一生懸命田舎の漁村で生きてきました。近頃は気力と体力も少しずつ衰えつつあり、母親の七回忌を迎えるこの頃は、私たち家族と同じ敷地内隠居家に一人暮らしていますが、老いの寂しさを口にするようになってきました。私のような凡人を育てたのですから、取り立てて子育てが上手く行った訳でもありませんが、私はこの親父から人生の生き方の根本を学んだように思うのです。昔人間ゆえ文字という武器も持たないため家訓のようなものはありませんが、振り返ってみれば私の旅路や岐路の折々に次のような言葉を言っていました。愛媛県立宇和島水産高等学校に進学するため町を離れる時、疲労による病気入院が元で漁師から役場職員に転職した時、実習船愛媛丸で珊瑚海へ遠洋航海に出発する時、総理府派遣第10回青年の船の班長として建国200年のアメリカへ旅立つ時など、人生の転機に父親が私に断片的に言った言葉の数々は今も私の耳から離れないのです。小学校もろくに出ていない無知文盲な親父が、何でこんな言葉を知っているのか、私には不思議でならないのです。

   「父親進10の言葉」

 ①草鞋を履け、草鞋を脱げ

 ②酒は大いに飲め、ただし酒に溺れたり酒に飲まれるな

 ③金が全てではなく信用が第一、金は入るを計りて使うを考えよ

 ④人生は一生懸命やっていれば必ずどこかでいいことが待っている

 ⑤学校へ行かなくても勉強は何処ででもできる、心の窓を開けろ

 ⑥人生はうどん粉(運・鈍・根)、それをつなぎ合わせるのは水と力と技だ

 ⑦焦ることはない、お前にしか出来ない事をやれ

 ⑧身体をいとえ、人生迷ったら基に戻ることだ

 ⑨今を見据え来た道行く道の遠い向こうを見ると間違いはない

 ⑩生きている間に一つぐらいは世の中のためになる事をやれ

 平凡な親父が平凡な私に言った言葉ゆえ上手く表現できていない部分もありますが、概ねこのような言葉を私に日々の戒めとしていっているのです。若い頃はその言葉を聞く度に何かにつけて憂うつになり、時には反感反目したものです。でも不思議なもので息子たちが成長して私が親父と同じような年代になると、親父と同じような言葉を息子たちに発して、反感反目されているのです。

 例えば①の草鞋を履けは「旅に出よ」、草鞋を脱げは「旅人を家に迎え入れよ」という意味ですが、私にとって親父のいっている言葉の中で最も気に入っている言葉なのです。その言葉どおり若い頃から沢山の旅を経験し、マクロな視点で物事を見れるようになりました。また草鞋を脱いでもらうために、家の敷地内に「煙会所」という私設公民館を造り、概ね年間1500人もの人々を30年間にわたって迎え入れてきました。 まさに「親の意見と茄子の花は千にひとつのあだがない」の諺どおりなのです。62年のわが人生は親父というファインダーを通して見てきた62年でもあるのです。親父が生きているもう少しの間、親父というファインダー越しに世の中を見つめて見たいと思う今日この頃です。

  「ああ俺にゃ 真似の出来ない 十本の 指折り数え 息子諭すは」

  「ガンになり 摘出手術 した後は 健康人より 何と長生き」

  「学校へ 行かずもこんな 言葉吐く 誰何処習うか 大したものよ」

  「草鞋履く 草鞋脱いだる 六十年 これから先も 続く限りは」

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