shin-1さんの日記

○墓参り

日ごろは不信心な私ですが、春と秋の彼岸、それにお盆や正月は地元の風習にしたがってお墓参りをしています。お墓まで家からだと直線距離にして500mほどしか離れていないため、行こうと思えば毎日でも行けるのでしょうが、ついつい忙しさにかまけて足が向かないのが実情です。親父は1週間に一度は必ずお墓掃除に出かけ、シキビの花を手向けて帰りますから、地元の人から見ると「若松さん所のお墓はいつも花があって綺麗」と感じるらしく、お褒めの言葉をいただくのですが私にとってはきまりの悪い言葉で、「親父がちゃんと墓守をしてくれていますので」と親父の顔を立てるのがやっとなのです。

 今年は日程が立て込んでいて8月14日のお参りとなりました。前日人間牧場へシキビの花を取りに行き準備をしていたのでそのシキビを三つに分け、ひとつは家の入り口付近にあるお地蔵様用、ひとつは仏壇用、そしてもう一つはお墓用に束ねお墓用を持参して出かけました。朝8時前だというのにセミの声が賑やかで、「今日も暑いなあ」といいながら墓地へ到着、3日前に親父が掃除に来た時に供えたシキビですが夏の暑さでかなり傷んでいたので思い切って新しいのに取替え、たっぷり水を入れ、線香を手向けてご先祖様に敬虔な祈りを捧げました。やはりお盆でしょうか、あちこちのお墓には早朝の涼しい時間を選んでの墓参りの人たちも多く、馴染みの人たちに声を掛けながらお参りを済ませました。

 息子夫婦は昨日墓参りに来たようです。長男は誰に似たのか毎年春秋の彼岸や盆と正月は欠かさずお参りをします。妻に言わせれば「私の教育がいいからだ」と胸を張りますが、確かに妻の信心は偉大で、毎日の仏壇へのお茶とご飯のお供え、それに線香やお光は欠かすことなくやっている習慣なのです。そんな無形の妻の姿を子どもたちは見ながら育っているのですから、これはもう妻の最大の功績なのです。

 急な思いつきながら、昨日の夕方送り火をして先祖の霊を送った後、妻の実家八幡浜のお墓参りに出かけました。最近は道路事情もよくなって海岸国道378号を通れば八幡浜まで1時間弱で到着するのですが、保内の入口で八幡浜ヘ向かう道路が多少混雑し1時間強かかりましたが、それでも夕暮れの墓地にはやはり涼しい時間を狙ってのお参りなのか線香の煙が立ちこめ、見知らぬ人が何人か挨拶を交わしながら行き交いました。妻の実家の墓地はお寺に境内の中腹にあって登るほどに八幡浜湾の絶景が広がりいい眺めです。昨日は小雨がパラパラ落ちていましたが濡れるほどではなく程よい涼しさでした。

 お墓にも人間模様が見え隠れし、あちらこちらのお墓は既に墓守も途絶えたのか草に埋まって見る影もない寂しいものも幾つかありました。中には江戸時代の年号も記載された立派なお墓なのに荒れているものや、比較的新しいのに荒れているものまで様々です。自然の草木は偉いもので、地震等でびくともしない墓石でも、長年放置すると礎石が動いて墓が倒れているのです。昔は若死にする人も多かったようです。また沢山いた子どもたちはみんな田舎を捨てて都会を目指しました。都会で一旗あげることが家や郷土の誉れでもありました。しかしいくら成功して金があっても、先祖のお墓がこれではと思いました。近頃は日本人の先祖に対する敬愛の念が大きく揺らいでいると思いました。

 そんなお墓を横目に見ながら妻と二人で色々な事を話しました。私たちのこれからのこと、私たちの死後のことなど、先祖守りをしてくれるであろう長男夫婦のことなど、歩きながら人生とは何かまで話しこみました。母の7回忌も来月に近づき、今日の送り火の時親父が「来年はわしの迎え火を焚いてもらうかも知れん」と、つい弱気な話をしたことなどを考えると、生きている人間の住むこの世と、先祖が眠るあの世の垣根はいよいよ近くなりつつあるようです。

 妻が唐突に「お葬式の時死者が頭につける布の三角帽子はどうして付けるの」と聞きました。「あれは天冠といってな、死んだ人が極楽の閻魔を通る時冠をつけていないと失礼にあたるから着けているんだ」と、母が亡くなった折知人の葬儀社に聞いた話をしてやりました。「まあお父さんはもの知りじゃねえ」と褒めてくれました。そういえば四谷怪談にでてくる幽霊も必ず頭に三角帽子をつけているし、バラエティー番組でも幽霊イコール三角帽子の出で立ちのようで、あんなことを遊びにしたら今に閻魔大王の怒りに触れ、地獄へ落とされるのではないかと思いました。まあ彼らはかなりお金を儲けているので、「地獄の沙汰も金次第」で天国へ行くのかも知れませんね。

  「お参りの 人もいなくて 草ボウボウ せめてわが墓 息子よ頼む」

  「出世して お金できても これではね 先祖敬う 心なければ」

  「三角布 被りて閻魔 通りゃんせ やがて私も 例に習って」

  「お墓にて 夫婦が語る これからの 人生いかに 生きればよいか」



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