shin-1さんの日記

投稿者: | 2007年8月1日

○宮本常一生誕百年記念大会に出席して

 私たちの町の沖合いに浮かぶ周防大島は近いようで遠い町です。天気が良いときは手の届くような位置にあるのに、何故か縁遠いのです。胃尼まで県境であることや交通手段がなかったからかもしれませんが、周防大島に行くには松山市三津浜から柳井行きフェリーか岩国行き高速船に乗って途中下船しなければならないのです。私はこれまで5~6度周防大島を訪ねていますが、2度ほど講演に行ったのと視察に3~4度訪ねているようです。

 今日はこの周防大島町内4町が合併してできた人口2万人余りの周防大島で開かれる予定の宮本常一生誕百年記念大会に参加するため、この日のために知人友人が企画したツアーでの参加となりました。普通だとバスツアーなどが考えられますが、今回は旧中島町の方海上タクシーをチャーターし三津浜から旧中島町を経由して直接周防大島へ乗り込む算段が出来ました。

 伊予市の門田さんや岡崎さん、それに地域政策センターの松本さんと伊予市門田石油で合流して三津浜港でさらに豊田さんたち松山組と合流し8時30分に出発しました。

 見覚えのあるこの船は、無人島キャンプの折お世話になった船で、船長さんも顔を覚えていてくれて爽やかなごあいさつをしてくれました。旧中島町までの所要時間は30分余り、松山から乗船した勝田先生と教育談義に花が咲きあっという間に旧中島町に着き、中島のメンバーと合流して二神と津和地や怒和島の間を通って情島付近の水道を通りましたが、初夏の抜けるような海と空の色、釣り船や入道雲の白い色が眩しく太陽に輝いていました。柳井航路のフェリーが水道の急流を気持ちよさそうに走り、長閑な瀬戸内の海を私たちを乗せた船は波しぶきを上げて突っ走りました。

 10時に伊保田港に接岸し迎えに来ているホテルのバスに分譲して、陸奥記念館や島影織りなす海を横目で見ながら文化交流センターへ到着しました。私が以前にこの島に来た時はなかった文化交流センター(宮本常一記念館)や道の駅、星野哲郎記念館などが相次いでできており、まばらな人影ながら少しばかりの賑わいを取り戻しているように見えました。

 星野哲郎記念館はあいにく休館日とかで見学できませんでした。せっかく遠方より訪ねて、しかも宮本常一生誕100年記念大会に全国から集うというのに、このミスマッチはいただけないお役所仕事ではないかとブーイングが聞こえましたが、仕方なく一行は文化交流センター内にある宮本常一記念館を微細に見て回りました。

 宮本先生が深く関わっただけのことはあって実に見事な展示でした。海の町で海の資料を沢山保有するわが町には残念ながらこうした展示もなく長い間ゴキブリの巣に甘んじている事を、いささかなりとも関わった私としては多少の恥じらいをもって見学させてもらいました。

 上のような面白いパネルを見つけました。私たちが無人島キャンプで深く関わった由利島の歴史を示す展示です。私は懐かしく食い入るように見つめました。有人島が無人島になる栄枯盛衰の記録がしっかりと記録されていて、頭の下がる思いがしました。私たちが島に初めて渡ったころはこの面影が少しばかり残っていましたが、今年の夏埼玉県の北本の人たちと訪ねた時は風化が激しく人の住まなくなった島の末路を見ているようで、心が痛みました。

 昼食をとるため片添ヶ浜にあるサンシャインサザンセトというリゾートホテルへ出かけました。昼食ながらお粥が出てかなり満足のいく昼食です。私はお粥をお代わりまでしてしまいました。しかしこのホテルといい、砂浜といい、植栽された椰子の木といい、どこか日本的でないどこか外国を真似た違和感を覚えたのは私ひとりではないようです。ひと頃物まねといわれるエーゲ海や地中海、イタリアやハワイを模写した施設が相次いで誕生しましたが、今風はやはり日本らしさが求められているのかもしれません。しかし夏場はそこそこ人が来るのですが、冬の経営は大変だろうなあと他人事ながら同情したのです。

 食事が終わると再び全体会場へ逆戻りして式典と記念講演、それに一人芝居に参加しました。

 特別講演「宮本常一から学んだこと」は「旅する巨人」の著者で有名なノンフィクション作家佐野眞一さんの興味深い話を聞きました。この話は長くなるので次の機会に少し詳しく紹介します。

 また先日NHKの四国羅針盤という番組で紹介した坂本長利さんの一人芝居「土佐源氏」の鑑賞がありましたが、この芝居についても別の日に紹介してみたいと思います。

 沈む夕日が西瀬戸の空と海を染め分け、長く尾を引く航跡を照らしながら、台風が近づいているとは思えない穏やかな海を旧中島町経由で再び三津浜港に幾分早い午後7時ころ帰って来ました。三々五々県内各地へ散らばりましたが、宮本常一の誕生日に当たる8月1日は私にとっても忘れられない一日となりました。

  「生誕の その日を期して 宮本の 生まれし里を 訪ね歩いて」

  「セピア色 染まりし古い 写真見る わがふるさとの 昔重ねて」

  「由利島に 二十年行き 一枚も こんな写真を 残せずウウーン」

  「凡人の 凡行嘆く 凡果なく これから生きる すべは何ぞや」 


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