shin-1さんの日記

投稿者: | 2007年1月29日

○船旅

 私は漁村で生まれ漁村で少年時代を過ごしました。水産高校を出てからふるさとに帰り7年間も漁師をしていたこともあって海との関係が深く、役場でも四年間水産を担当しました。またシーサイド公園では漁協婦人部のおばさんたちと一緒になってじゃこ天などを開発し様々な海を巡る仕事に携わってきました。また退職した現在も請われるままに地元漁協の活性化について委員会の取りまとめを依頼されるなど、海との関係は生涯にわたって続くものと思われます。私はそんな生い立ちが心を揺さぶるのか水産高校の練習船愛媛丸での遠洋航海や、総理府派遣青年の船で2ヶ月を超える船旅も経験しているのです。ですから海や船は私にとって切り離すことが出来ず、調べて船のルートがあれば多少時間がかかっても船旅の方を選ぶのです。

 先日九州の福岡博多に行きました。福岡県観光連盟の招きによるホスピタリティの研修でしたが、数日前懇意にしている関西汽船の浜田さんと出会ったのを機にふと松山~小倉ルートがあるのを思い出しました。飛行機だと松山空港からひとっ飛びなのですが、飛行機は性に合わない性格から極力避けるため、このルートを選んだのです。松山で会合を終えて時間があったので本屋へ寄ったりして過ごしていると浜田さんから連絡が入り、急遽船着場で会うことになりました。関西汽船には一昨年まで支社長として本町出身の池富さんがいたので一度お邪魔したこともあり事務所に案内されました。

 浜田さんはその日私が書いたブログの文章を既にプリントアウトして持っており、細かいところまで気の付く方なのです。そのうち浜田さんが「若松さんいい人を紹介しましょう」と、まだ乗船の始まっていないフェリーの船長室へ私を案内してくれました。多分普通の人は立ち入り禁止区域なので滅多に入れないのですが、ブリッジの横の船長室で出港準備の忙しい時間なのに面談してくれました。浜田さんや船長さんの話だと一度私を訪ねて双海町役場に来られて面談しているそうで、宇和島水産高校の後輩とのことでした。船長といえばこのお船では一番偉い人なのですが、そんなそぶりは微塵もなく短い時間ながら四方山話に花を咲かせました。

 やがて出航時間が近くなったのでブリッジに案内され船長さんと記念写真を撮りました。そして私は2等船室のチケットの場所へ行こうとしたのですが、浜田さんの計らいで特一という部屋へ案内されました。この日は木曜日ということもあって乗客も比較的少なく私の部屋は4人部屋だったのですが私一人専用でクルージングを楽しませてもらいました。私は庶民派なのでいつも2等船室を利用します。膝や腕がすりあうような混んだ船室は様々な会話が交わされ、それがまた旅のよき思い出となるのです。

 夜9時55分に松山観光港を出港した船は穏やかな瀬戸内海の航海を続け早朝5時には小倉港に無事入港しました。明けやらぬ小倉の街を小倉駅まで歩き、一番列車に乗って博多に着き駅の食堂で温かい味噌汁とご飯を食べました。

 旅情とはこんなものなのです。速いスピードの時代に、ゆっくりのんびり旅を楽しむ、それでいて安い旅、もう文句の付けようのない船旅でした。これからも折にふれこんなスローな旅を楽しみたいものです。でも私の安眠の影に船を動かしている人のいることを忘れてはなりません。

  「特一の 部屋で快適 小倉行き 起きれば九州 朝街歩く」

  「船長と ブリッジ談笑 ひょっとして 俺もこの船 乗っていたかも」

  「窓辺より 遠くにかすむ ふるさとの 辺りを眺め 夜船進む」

  「人生は 分らぬものよ 今の俺 海を目指した 昔懐かし」


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